Alberta Hunter(アルバータ・ハンター)

(出典:WKNO FM


82歳で奇蹟のカムバックをした”アメリカの国宝”/アルバータ・ハンター(Alberta Hunter)

1895年 テネシー州メンフィスで生まれたアルバータ・ハンターはその長い生涯において、大半はシンガーとして歌い続けた。”人生を三度生きた女”と言われ、クラシック・ブルース〜ジャズ・ヴォーカルの歴史の中で目覚ましく活躍した。

今回アルバータ・ハンターはジャンルとしてはクラシック・ブルースのカテゴリにしているが、ジャズもこよなく愛し、特に晩年は鳥肌モノのジャジーな歌声を残している。この際、どちらのジャンルでも構わないが、そのヴォーカルスタイルの本流には”ブルージーさ”を感じることもあって、『ブルース』に入れることにした。
 

人生を三度生きた女

アルバータ・ハンター。大好きなシンガーである。

日本ではあまり知名度も高くなく、過小評価?されていると言われているが。

以前は僕自身も、アルバータが1895年生まれでマ・レイニーベッシー・スミスなどと同じ時代に活躍したクラシック・ブルースのシンガーという程度の認識しかなかった。その凄まじい人生経歴を知るまでは。。。

20世紀の始め、幼い頃から苦労したアルバータはその人生を三度生きたと言われている。彼女を語るとき、音楽的な変遷はもちろんであるが、やっぱりその特異な人生についても触れないわけにはいかないだろう。

大きくは①10代〜50代、②60代〜70代、③80代という三つに分かれるのであるが、凄いのは③ということになる。さらっと書いてみよう。

 

①10代〜50代(初期?)

まずはいきなりだが、アルバータ・ハンターの幼少期に父親が蒸発して、母親がシングルマザーとして家族を支えるようになる。母親は売春宿のメイドの仕事をやっていたが、育った環境が悪く、アルバータはいろんな男の本性を目の当たりにすることになる。

そんな大人の男たちや父親のこともあって男性に対する不信感が募って、レズビアンの道へと進んだようだ。

そして弱冠12歳にもかかわらず、そんな環境から逃げるようにシカゴへ向かった。その後母親もアルバータを追いかけるようにシカゴへやって来る。

シカゴではなんとか働きながら歌を歌い、徐々に売春宿やキャバレーでお金をもらえるようになっていったそうである。そんな状態でシカゴではどんどん有名になっていく。

20歳を超えた頃、ニューヨークへ行きそこでもキャバレーを中心に歌を歌い知名度を上げていく。1917年には最初のヨーロッパツアーも行い、パリやロンドンでは異例の好待遇を受けた。

1920年代に入ると、作曲活動にも力を入れ、ついにレコーディングも行うようになる。中でも天才的ピアニストと言われたロビー・オースティンとの共作である「Downhearted Blues」は、コロンビアレーベルに売却されてベッシー・スミスが歌ったものが約100万枚売れ、ベッシーは一気にスターダムにのし上がった。

その後も精力的にいろんなレーベルに録音して、1930年代までヨーロッパとアメリカを行き来して、ミュージカルなどにも参加した。

1940年代には第二次世界大戦があり、USO(アメリカサービス組織会社)というボランティア組織に入って、アジアやヨーロッパの軍隊を慰問してそのパフォーマンスで軍人たちを楽しませた。もうこれでこの人がメッチャいい人だというのがわかるものである


(出典:Elsewher

 

②60代〜70代(看護師時代)

これは結構有名な話ではあるが、1957年にアルバータは母親の死に直面した。そして、その母の死がきっかけとなって、もっと人の役に立ちたいと思うようになる。

というワケでなんと一旦シンガーを引退して看護師を目指すのである。もうこのときすでに62歳だったのに!?

病院で働くのにも、看護師の資格を取るのにも学校の卒業証明書を取得するのにもすべてオーバーエイジとなっていたアルバータはなんと年齢を12歳も偽ったという。つまり公には50歳で看護師になって定年の70歳で退職というようになっているが、実際は62歳で看護師になって82歳!!で退職している。

すなわちこの看護師として働いていた期間が第二の人生ということになるが、1961年にはこっそりアルバム2枚のレコーディングに参加したりもしている。だから完全に音楽から離れていたというワケではなかった。

 

③80代(カムバック)

アルバータ・ハンターの偉人伝を語るときに、もっとも強調されて注目を浴びるのがこの晩年のカムバック時代である。

前述のとおり、看護師を退職したのが実際には82歳なので、一般的にはもう残された老後を何もせずゆっくりと気ままに過ごすというのが普通であるが彼女は違った。

なんとそこからまたシンガーにカムバックするのである!

そう、これこそがまさに第三の人生の始まりだった。きっかけはあるパーティーへ参加したときに歌ったことである。

コロンビアレコードと契約したアルバータは、その後もテレビに出演したり、映画『Remember My Name(リメンバー・マイネーム)』のサントラを歌ったりと大活躍する。もうこの頃はほとんどジャズ・ヴォーカルだが、とてもブルージーな歌い方をしていて魅力的な歌声になっている。

そして今も聴く人の足を止めてしまうとも言われる名盤『Amtrak Blues(アムトラック・ブルース)』がリリースされる。このときなんと84歳!!後ほど音源も紹介するが、本当に信じられない歌声である。時代や人種などを超越したあらゆるものを包み込むような歌声がそこにはあって、それこそが多くの人が初めて聴いたときに足を止めてしまう理由なのだろう。

言うならば、本能的にこの歌を聴かなければならないといった感覚を引き起こされるのだ。実際僕自身がそうだった。

その後89歳で永眠についたのだが、この晩年にはホワイトハウスにも招かれ、時のカーター大統領に”アメリカの国宝”だと言わしめた。

そして死後数十年が経ち、21世紀には数々のブルース殿堂入りを果たした。まあ、当然といえば当然だろうか。

 

 

曲紹介

1920年代のクラシック・ブルース時代から晩年のジャズ・ヴォーカルまでを入れるとアルバータ・ハンターの音源はかなりの数に上るので、ここではある程度その時代ごとにポイントを絞って紹介していきたいとは思う。

音質の良さや映像の多さからカムバック後に好きな曲が多く、そのへんを増やしたい気持ちはあるが、一応バランスを考えて上げてみた。

代表曲ランキング

13位:If You Can’t Hold The Man You Love(1926年)

Okehからシングルカットされた曲。軽快なピアノのバッキングと少しジャジーなアルバータのヴォーカルが乗ってきてカッコいい。ピアノとヴォーカルのみだが、クラシック・ブルースはやっぱりジャズの影響がかなり入っているのがわかる。個人的に好きな曲である。

重要度 2.5
知名度 2.0
ルーツ度 2.5
好み 3.5
総合 2.5

 

 

12位:Sugar (1927年)

ファッツ・ウォーラーがオルガンで、アルバータ・ハンターが歌う珍しい2ピースのセッション。曲はジャズ・ブルースなんだけど、このようなファッツのオルガンが入ると教会音楽っぽさを感じてしまう。このレコーディングの後、アルバータはヨーロッパのツアーへ行った。

重要度 3.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.0
好み 3.0
総合 3.0

 

 

11位:Chirpin’ the Blues(1923年)

こちらは1923年の録音から。”I woke up this morning〜”という歌の出だしのブルースの曲で、バックにクラリネットやコルネットなどが入ってて、この頃のクラシック・ブルースの「女性ヴォーカル+ジャズミュージシャン」といった典型的なバンドスタイルである。

 

重要度 3.0
知名度 2.5
ルーツ度 3.0
好み 3.0
総合 3.0

 

 

10位:You Can’t Tell The Difference After Dark(1935年)

これも何度もアルバータ・ハンターが録音している曲で、ここでは1935年の古いバージョンを取り上げた。

イントロからピアノとジャズっぽいギターが被ってくる少し変わった出だしの曲。歌が入ってもずっと両方弾き続けているので音数が多くて結構ゴチャゴチャしているが、その分音に厚みがある。

「暗闇に入ると肌の色がわからない?」といった自虐的というか差別的な表現もあって、当時は発売されなかったらしい。評価の高い曲でもある。

重要度 3.5
知名度 3.0
ルーツ度 3.0
好み 3.0
総合 3.0

 

 

9位:I Got Myself A Workin’ Man(1962年)

これは1962年にリリースされたアルバータ・ハンターとヴィクトリア・スピベイ、ルシール・ヘガミンといったクラシック・ブルース界の大御所を集めたオムニバス・アルバム『SONGS WE TAUGHT YOUR MOTHER』の冒頭1曲目である。

アルバム全体がホーンセクションが入ったクラシック・ブルースでこの時代には珍しかったんじゃないかと思う。ブルースならモダン・ブルース全盛だし、ジャズもバップの後期の方だからこんなクラシック・ブルースはとても貴重だ。

この曲もめっちゃブルースだし、アルバムも良い。

重要度 3.5
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.0

 

 

8位:Downhearted Blues(1922年)

実はこれがアルバータ・ハンターにとってはもっとも有名な曲かもしれない。とは言っても皮肉にも翌1923年にベッシー・スミスがリリースした方が売れまくり、100万枚以上売れたようである。

曲はアルバータとピアノ弾きで作曲者のロビー・オースティンとの共作で、後にもたくさんカヴァーされている。また、国の文化遺産ほどの称賛を受け、いろんな殿堂入りを果たしているかなりの名曲でもある。

アルバータ自身も何度もこの曲を録り直しているが、ここでは初回のバーションを上げることにした。

 

重要度 4.0
知名度 4.5
ルーツ度 3.5
好み 2.5
総合 3.5

 

 

7位:Remember My Name(1978年)

1978年に公開されたアラン・ルドルフ監督による映画『Remember My Name』のサウンド・トラックを担当したのがアルバータ・ハンターで、この曲はそのタイトル・チューン。

カムバック後すぐのリリースだが、映画の中で1920年代〜1930年代のナイトクラブシーンなどがあって、アルバータ・ハンターに声がかかったようである。

曲はモダンなブルースだが、ホーンが入っていて少しクラシックな感じに仕上がっている。これを聴くとカムバック後のアルバータの声が急激に渋くなっているのがわかる。

重要度 3.5
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

6位:My Castle’s Rockin’(1940年)

1940年の録音だが、もうこれはジャズ・ヴォーカルである。ピアノとの独唱でカッコいい。実はこの曲は彼女の中でも有名なのだが、なぜかというと同名のドキュメンタリーが存在しているからだ。

晩年のライブ・パフォーマンスをメインにインタビュー映像なども入っているらしく、アルバータ・ハンターのその人生模様がわかるようになっているみたいだ。

ここでは原曲の評価はもちろん、続けてそのドキュメンタリーの予告編がYouTubeに上がっていたので紹介しておこう。

重要度 3.0
知名度 4.0
ルーツ度 3.0
好み 3.5
総合 3.5


【予告編】

 

 

5位:The love i have for you(1940年)

これもいい曲だ。素敵なピアノから始まり、若きアルバータ・ハンターの甘いジャジーな歌声が乗ってくる。アルバータの歌い方はクラシック・ブルースから入っていることもあって、結構ビブラートが多く使われていて、且つ芯がしっかりしているので安定した良い歌唱を聴かせてくれる。

重要度 3.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

4位:Amtrak Blues(1980年)

カムバック後、最後に吹き込んだ伝説のアルバムのタイトル・チューン。80代のおばあちゃんの声とは本当に思えない。

もはやこのアルバムはアルバータ・ハンターの声も音質も良くて文句の付けようがないと個人的には思っているのだが、まあそういうワケにはいかないのでちゃんと聴きなおしてみた。

イントロからめっちゃブルースである。モダン・ブルース系の音だが、ホーンセクションが入るとやはりジャジーな感じになる。この晩年のアルバータの声は少ししゃがれててドハマりしている。アルバム全体を通して同じような音質で、おそらくこの安定した音感が好きなリスナーも多いんじゃないかと思う。

重要度 4.0
知名度 4.0
ルーツ度 3.5
好み 4.0
総合 4.0

 

 

3位:Nobody Knows You When You’re Down and Out

1923年にジミー・コックスというソングライターが書いた曲で、とても有名なブルースのスタンダード・ナンバーである。ベッシー・スミスを皮切りに多くのレジェンドたちがカヴァーして、新しめではデレク&ドミノスまでもが取り上げている。

簡単に言うと、「落ち目になったら知らんふり」みたいな人間の本性やガメつさについて歌った歌詞で、なんともブルースにもってこいの内容だ。

アルバータのバージョンも、もちろんブルースではあるのだが、やはり動画のような晩年のバーションを聴くとかなりジャズ寄りである。サラッとこんな曲をセッション出来たらカッコいいな。しかしただただ渋いの一言につきる。

重要度 3.5
知名度 4.5
ルーツ度 3.5
好み 4.0
総合 4.0

 

 

2位:Old Fashioned Love(1980年)

なんて素敵な曲だろう。聴いていて、歌詞を見て泣けてくるようなジャズ・ブルースだ。

元は1923年に作られたバラードで、アルバータ・ハンターも一発目は1924年にリリースしている。それから数十年の間に多くのミュージシャンによってカヴァーされて、主にジャズとカントリーでのスタンダード曲となっているようだ。

このバージョンはカムバック後の名盤『Amtrak Blues』から。静かなピアノとアルバータの歌で始まり、スローなジャジー・ナンバーへと入っていく。

歌の内容は、「世間や周りの連中は古臭いものを捨てて新しいものに変えるべきだと言うけれど、私にはそんなことはできない。だって心のなかには古いものに愛があって、引き離すことなんて出来ないから」といったもの。

アルバータのソウルフルな歌声がそんな感情に輪をかけて畳み掛けてくる。

僕のようにオールドスタイルやノスタルジックが好きな人間にとってはたまらない極上の曲である。

重要度 3.5
知名度 3.5
ルーツ度 4.0
好み 5.0
総合 4.0

 

 

1位:Darktown Strutters’ Ball(1980年)

最高の一曲である。元々は1917年に作られたジャズ・スタンダード曲で、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドがリリースして有名になった。

アルバータ・ハンターの名盤『Amtrak Blues』のトップを飾るこの曲は本当に素晴らしく、耳にした人が「これ誰?」ってなるほどに引っ掛かる音だ。実際僕も最初に思わず聞き入った。

静かなピアノのイントロに乗せて入ってくるしゃがれ気味のアルバータのブルージーな声。バックとのバランスもとても良く、録音状態も素晴らしい。

開始1分ほどでスウィンギーでアップテンポなジャズに変わるのだが、これがまたカッコいい。そしてオールドタイムなジャズはとても心地よく最後まで流れていく。とても完成された曲。

この1曲目で名盤という名を決めたといっても不思議ではないくらい素晴らしいと思うし、個人的にも大好きで満点をつけたい。

重要度 4.5
知名度 4.0
ルーツ度 4.0
好み 5.0
総合 4.5

 

 


今回アルバータ・ハンターの曲を改めてたくさん聴いて、本当に凄いシンガーであるということがわかった。というより人間として凄い。個人的に好きな曲として満点も2曲付けた。

19世紀の終わりにアフリカ系アメリカ人として生まれ、幼い頃から父親はおらずに母親が売春宿で働いていたという環境は今の僕たち日本人には全くといっていいほど理解できないものだったと思う。

そこからシンガーとしての山あり谷ありの道のりを歩んでいくのだが、そんな波乱に満ちた人間のブルースは、80歳を超えてアウトプットされると、こんなにも人間臭くなるものかと感動した。

晩年の彼女の映像を見て欲しい。なんという貫禄であろうか。尊敬すべき人生の大先輩として、これからもアルバータ・ハンターの歌を聴き続けたいと思う。

そんな彼女の生涯を綴った本が出版されているので、読んでみたい方はぜひ手にとってみてほしい。

 

その他の曲

・「Someday Sweetheart」

・「Boogie Woogie Swing」

・「My Handy Man」

・「A Good Man Is Hard to Find」

・「Sweet Georgia Brown」

・「I’m having a good time」

・「I’ve Got a Mind to Ramble」

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