Blind Joe Taggart(ブラインド・ジョー・タガート)

(出典:Discogs

幾つもの顔を持つギター・エヴァンジェリスト

ブラインド・ジョー・タガートとは

◯1892年 サウスカロライナ州 アビービル生まれ
◯ブラインド・ジョー・タガートはゴスペル名で、他に変名してブルースなどもやっていた。
◯若き日のJoshua White(ジョシュ・ホワイト)とのGoodなセッション

 

曲紹介

ブラインド・ジョー・タガートは上記のようにゴスペルだけでなく、世俗的なブルースなどをやるときは名前をいくつも変えていて、同じ曲を違う名義で録音したりしているのでとてもややこしい。ここでは全部ひっくるめてわかる範囲で紹介したいと思う。

Blind Joe Taggart  

I’ll Be Satisfied(1926年)」この曲は最初期のVocalionへの録音で、妻のエマ・タガートがヴォーカルで参加している。ギターはカントリー・ブルースだが、迫力のあるツイン・ヴォーカルがゴスペルらしくて素晴らしい。


Keep On The Firing Line(1926年)」こちらも夫婦二人のデュオ。なんとも変なギター・バッキングの曲だが、サイケデリックロッカーのキャプテン・ビーフハートが影響を受けたようである。


The Storm Is Passing Over(1927年)」最も代表的な曲の一つ。チャールズ・ティンドレイによる賛美歌でスタンダードではあるが、このブラインド・ジョー・タガートの歌声は凄まじい。初めて聴いた時のインパクトでやられてしまった。しかしギター1本とヴォーカルだけでこの迫力である。ソウルシンガー顔負けの声だし、最近のミュージシャンでここまで出せるのだろうか?


Been Listening All The Day(1928年)」一瞬、「え?」となって耳を疑ってしまった曲。いきなりフィドルが入ってて、オールドタイムのようなギターの伴奏が続く。本当にこれがブラインド・ジョー・タガート??全くワケがわからなくなってしまった。いろいろと調べたがフィドラーは無名だが、ギターとVoはタガートで合っている。カントリー・ブルースだけでなく、オールドタイムやフォークっぽいアプローチも出来る多才ぶりであったようだ。


Satan Your Kingdom Must Come Down(1931年)」伝統的な黒人霊歌であるが、あのロバート・プラントがカヴァーしたことで一躍有名になった曲。それに引っ張られてタガートバージョンも知られるようになった。
他にも多くのバンドがカヴァーしていて、ここでは珍しいスペインのThe Blind Revelatorsというバンドの動画を紹介したい。

 

独特の怪しい雰囲気を醸し出してて、ギターとベースの二人がバスドラとハイハットを鳴らすというなんともユニークなスタイルでやっててなかなか面白い。

 

Blind Joe Taggart  & Joshua White(ジョシュ・ホワイト)

I’ve Crossed The Separation Line(1928年)」こちらはパラマウント・レーベルからで、若干14歳のジョシュ・ホワイトとセッションレコーディング。二人のヴォーカルの掛け合いがカッコいい。マンドリンのようなギターもいい。
この時全く同じ曲を、ブルース名義と分けているのであろう、Blind Tim RussellとBlind Jeremiah Taylorいう名前でハーウィンというレーベルからリリースしている。しかし全く同じ曲とは・・・


Mother’s Love(1928年)」これもジョシュ・ホワイトとのセッション曲。代表曲の1つでやっぱりこのデュオのコーラスワークはカッコいい。サビが印象的で、ゴスペルの曲なのでそのままクワイヤスタイルでも出来そうだ。


Strange Things Happening In The Land(1929年)」疾走感とノリのある曲で、こんな曲をサラッと出来たらカッコいい。ブラインド・ジョー・タガートとジョシュ・ホワイトの声の相性もいい感じでギターの音も良し。

 

Six Cylinder Smith(シックス・シリンダー・スミス)

Pennsylvania woman blues(1929年)」これはSix Cylinder Smithという名前で完全に世俗なブルースを歌っている。無名の奏者で素人っぽいがブルースハープも入ってていい感じだ。他にも1曲録っているがレアなトラックである。

 

Blind Percy & His Blind Band(ブラインド・パーシー&ヒズ・ブラインド・バンド)

Fourteenth Street Blues(1928年)」こちらもなかなかのレア度で情報があまりない。Blind Percyというのがタガートの別名で残りのメンバーも皆ブラインドかというと、どうもハッキリしていないようである。この頃のアフリカ系アメリカ人とブラインドという二重の差別によって、商品価値があったようでワザとブラインドにして売り出しているという説もある。曲はやっぱりブルースで冒頭からカズーが入っている。

 


他にもブラインド・ジョー・アモスという名前でもやっているし、一体何人を使い分けているんだろう?っていうぐらいに名前を変えて録音している。それほどブルースもやりたかったのかもしれない。

しかしブラインド・ジョー・タガートの本職?はギター・エヴァンジェリストとしてゴスペルで伝道することだった。ギタープレイに関してはカントリー・ブルースを基調としたもので、フォークっぽさもあるが、その歌はさすがにゴスペルなのでコーラスワークも素晴らしい。

同じエヴァンジェリストとしてはブラインド・ウィリー・ジョンソンがいるが、タガートも負けず劣らずその実力を発揮していたと言えるだろう。

この頃のアフリカ系アメリカ人のミュージシャンにはブラインド〜という名前が多いが、その裏には白人社会による差別感を打ち出した宣伝効果のようなものがあったみたいで、ブラインドと付けることによって、注目度が増し、売上にも繋がっていたようである。実際このタガートは完全な盲目ではなく、片目は見えていたということである。

 


タガートは、若い頃はジョージア州のアトランタ辺りで腕を磨いて、後に結婚してシカゴへ移った。妻のエマ・タガートや息子とも一緒に演奏して、初期のゴスペル・ブルースのスタイルを作ったとも言われる。1928年には若い14歳のジョシュ・ホワイトとセッション・レコーディングを行い、これが抜群の出来となっている。ソロやブルースでも、その歌声はソウル・シンガーを彷彿させるようなもので、歌も上手く迫力もあって素晴らしい。

まあ、とにかくその腹の底から滲み出てくるパワフルさは、最近の音楽ではほとんど聴くことができないと思うし、もちろんルーツミュージックとしても影響力は大きく重要な存在である。

 

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