- 1 ”盲目のスライドギター・エヴァンジェリスト” ブラインド・ウィリー・ジョンソン(Blind Willie Johnson)
- 2 曲紹介
- 2.1 代表曲ランキング
- 2.1.1 9位:Church, I’m Fully Saved To Day(1930年)
- 2.1.2 8位:Bye and Bye I’m Goin’ to See the King(1929年)
- 2.1.3 7位:I’m Gonna Run to the City of Refuge(1928年)
- 2.1.4 6位:Take Your Burden To The Lord And Leave It There(1929年)
- 2.1.5 5位:God Moves On The Water(1929年)
- 2.1.6 4位:Jesus Make Up My Dying Bed(1927年)
- 2.1.7 3位:It’s Nobody’s Fault But Mine(1927年)
- 2.1.8 2位:Let Your Light Shine On Me(1929年)
- 2.1.9 1位:Dark Was the Night, Cold Was the Ground(1927年)
- 2.1 代表曲ランキング
”盲目のスライドギター・エヴァンジェリスト” ブラインド・ウィリー・ジョンソン(Blind Willie Johnson)
ブラインド・ウィリー・ジョンソン。
初めて彼の音を聞いた時の衝撃は忘れられない。
英語のリスニングがあまり得意でない自分にとっては、基本”音”だけで判断するしかないのだが、たまらなく好きな類だったからである。
縦横無尽にかき鳴らされるスライド・ギター。そしてそこに乗ってくる説得力のあるダミ声にガツンとやられた。
「なんてカッコいいんだ・・・いや、カッコいいだけじゃない。この鬼気迫る感じはいったい何なんだ?」
一聴するとカントリー・ブルースなのだが、ウィリー・ジョンソンが歌っているのは”ゴスペル”であるというのは歌詞や曲のタイトルからわかった。
少しややこしいが、歌はゴスペル、曲はブルースというとわかりやすいだろうか。だから彼の音楽について”ブルース・ゴスペル”や”ゴスペル・ブルース”と呼ぶことも多い。
彼はテキサス出身なので、活躍した時期からブラインド・レモン・ジェファーソンと交流もあったようだ。幼い頃は貧乏で、葉巻の空き箱で作った”シガー・ボックス・ギター”を弾いていたそう。
(出典:Wikipedia)
参考までにシガーボックス・ギターってこんな感じのギターである。今も結構世界中で作っているらしく、自作している人も多いらしい。
そしてこのサイトでは【ゴスペル】というジャンルに入れた。なぜなら、ゴスペルはどちらかというと音楽性というよりその精神性のウエイトの方が大きいからだ。
それはトーマス・A・ドーシーに代表されるクワイヤ系の教会音楽としてのゴスペルが一般的にはイメージもしやすいが、ウィリー・ジョンソンのようなギター1本と歌だけで”死”というキーワードを全体にチラつかせながら、もう神にすがるしかないというような絶望からのスタイルは唯一無二で貴重だからと言ってもいいのかもしれない。
この世に残された彼の写真は、このサムネイルにもしている唯一たった一枚の写真のみである。
それがまたブラインド・ウィリー・ジョンソンという男の謎を呼び、ミステリアスにしている。
エヴァンジェリスト(伝道師)?ジャックレッグ・プリーチャー(辻説教師)?
ブラインド・ウィリー・ジョンソンのようなギターを弾いて説法して回る伝道師をギター・エヴァンジェリストと呼ぶが、中でも正式に教育を受けていない素人をジャックレッグ・プリーチャーといってランク的に低く扱われ、彼はそうであったらしい。辻説教師ともいう。
社会的な立場も良くはなく生活に余裕はなかった。唯一の彼の写真のギターのヘッドには、チップを入れてもらうビンのようなものが付いている。
彼に関する有名な話で、幼い頃に失明した理由は、継母にかけられた洗剤によるものだと言われている。事実のところはわからないが、もっと幼い頃に実の母が亡くなってしまったことも、あらゆることがPTSDとなって、神にすがるしかなかったのかもしれない。
しかもとても孤独で、盲目であるがためにギターと歌で街角でジャックレッグ・プリーチャーになるしかなかったのかもしれない。
そしてあのおぞましいまでのダミ声だが、説法のやりすぎで喉を潰したという説もある。しかしそのカッコよさに影響を受けたのかどうかはわからないが、後に出てくるハウリン・ウルフやトム・ウェイツのスタイルに見て取れるのではないだろうか。
そんなウィリー・ジョンソンだが、生涯に2度結婚していて、最初の妻であるウィリー・ハリスとは一緒にたくさんの曲をレコーディングしている。
そのへんはまた次の曲紹介で書こうと思う。
曲紹介
ブラインド・ウィリー・ジョンソンが遺した曲は1927年から1930年という短い間で、コロンビアレコードに録音した29曲しか存在していない。
現在では録音技術の進歩もあり、リマスター曲などを含めて全て結構クリアな状態で聴くことが出来るのが本当にありがたいことである。
そして特筆すべきはそのほとんどがクオリティが高く、捨て曲などないということだ。
ここでもランキング形式で紹介していこうと思っているが、全曲はさすがに大変なので、なんとかマイベストの9曲に絞り込んでみた。あなたのチョイスとは異なるかもしれないが、ウィリー・ジョンソン単独とウィリー・ハリスとのデュエット曲と両方まんべんなく入れたのでそれなりに参考にしてもらえたらと思う。
代表曲ランキング
9位:Church, I’m Fully Saved To Day(1930年)
まずはこの曲から。1930年録音でウィリー・ハリスとのデュエット。
原曲は「Fully Saved Today」という賛美歌である。このタイトルや曲を聴いてもらえば、ブラインド・ウィリー・ジョンソンがやっぱりゴスペルであるということがよくわかると思う。日本語では、「私は今日完全に救われている、教会(神)よ」みたいな感じだろうか。
しかし実は曲の方はゴスペル+ブルース+カントリーの混合のようで、かなりルーツっぽいのが素晴らしい。
重要度 | 2.5 |
知名度 | 2.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.0 |
8位:Bye and Bye I’m Goin’ to See the King(1929年)
結構人気の有る曲。ジョンソンらしいスライド・ギターをイントロからカマしてくれてて良い。
この曲ではあまりダミ声を効かせていないが、曲によって変えているその意図はよくわからない。ただ淡々と終始同じようなテンションで歌われる曲ではあるが、なんかスルメみたいな曲でもある。
ところでこの曲を初めて聴いたとき、「ん?どこかで聴いたような・・・」と思ったのだが、それはBlind Mamie Forehandの「Wouldn’t Mind Dying If Dying Was All」だった。曲がほとんど同じなのだが、彼女のバージョンはフィンガー・シンバルがカンカン鳴っててとても不気味なのでインパクトが強すぎて頭に残っている。
特にゴスペルは信仰心から気持ちが強いので、心理的な怖さすら感じるときがある。
重要度 | 2.5 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.0 |
7位:I’m Gonna Run to the City of Refuge(1928年)
この曲はウィリー・ハリスとのデュエットだが、今聴いても古さを感じさせないのが凄い。ギター1本での弾き語りで、単純な1コードのループっぽい曲だが一度聞くと耳に残ってしまうような曲である。
これは完全にブラインド・ウィリー・ジョンソンのオリジナルだが、元ネタは「You Better Run」という曲のようだ。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 2.5 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.0 |
6位:Take Your Burden To The Lord And Leave It There(1929年)
言わずと知れた賛美歌の名曲である。チャールズ・A・ティンドレーによる作曲で、数々のゴスペルシンガーがカヴァーしているし、今もなお歌い続けられているが、このジョンソンのバージョンはさすがというかカッコいい。
これより2年前にはワシントン・フィリップスが録音しているし、ゴスペル・ブルースっぽい印象が強い曲だ。
この曲もウィリー・ハリスとのデュエットでギター1本の弾き語りなのだが、曲だけ聴いているともうロックンロールである。ウィリーとの掛け合いも最高。
それでふと思ったのだが、この頃のゴスペルってカントリーの影響もあって、もしかしたら音的にはドロッとしたブルースよりロックンロールに近いノリの曲が多いんじゃないだろうか??
確かにクワイヤなんかで合唱が盛り上がってくると、ロックンロールのようなノリになってくるのを感じるから、やっぱりそのへんはルーツ・ミュージックはつながっているんだろうと思う。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.0 |
5位:God Moves On The Water(1929年)
この曲は最初の録音がジョンソンで、その後もゴスペルのスタンダードとしてたくさんのミュージシャンが演っている。後にマンス・リプスカムも演っているがテキサスにゆかりのある曲でもある。内容はタイタニック号の沈没など昔の水難についての歌のようだ。
イントロの出だしからジョンソン節全開のスライド・ギターで相変わらずのカッコ良さである。聴くとよくわかるが、アフリカっぽい拍子にギターとヴォーカルの弾き語りが跳ねてリズミックに乗っかってくるのはさすがにアフリカ系アメリカ人だからこそなせる音楽だと言わざるを得ない。
そんな独りの弾き語りなのにどうしてこんなにカッコよくなるんだろうか?
最近ではあのラーキンポーがこんなバージョンでやっているが、いやはや素晴らしい。彼らこそルーツ・ミュージックを後世に残すべく行動をしている現在最高なバンドの一つだ。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.5 |
4位:Jesus Make Up My Dying Bed(1927年)
この曲は別名「In My Time of Dying」とも言って、聖書の一節が元ネタのようだ。特にジョンソンのこ「Jesus Make Up My Dying Bed」は説教師であるJCバーネットの影響が強い。
この曲は当時の多くのアフリカ系アメリカ人にとって、迫害されていた奴隷制度の名残や大恐慌というネガティブな境遇とも切り離すことが出来ず、日常にある絶望感や死への感覚からとても身近に感じられたのだと思う。
そしてジョンソンの得意なスライド・ギターを生み出すオープンDチューニングで弾かれたこの曲もまた、彼にとって最も売れた曲の一つである。
他にもこの曲を有名にしているのは、ボブ・ディランのファーストアルバムやレッド・ツェッペリンが「In My Time of Dying」でカヴァーしていることは無視できないし、ゴスペルというジャンルにとっても忘れてはいけないし、外すことの出来ない曲である。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 4.0 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.5 |
3位:It’s Nobody’s Fault But Mine(1927年)
これはジョンソンの代表的な曲で、多くのミュージシャンがカバーしている。特に有名なのはレッド・ツェッペリンだろうか。いや、もはやツェッペリンの曲だと思われているかもしれないが・・・。
それはそうと、音的にはこの曲もとてもカッコよくて、イントロから少し怪しげで危ういスライド・ギターが入ってきて緊張感が出ている。そして頭から強烈なダミ声で何かに訴えかけるような、ジョンソンの魂の歌が被さってくる。その後の間奏では揺れ具合がなんとも言えないスライド・ギターと歌の繰り返し。
ちなみにこのパフォーマンスだが、リズムのギター・バッキングとこのようにスライドでメロディ・ラインを同時に弾きつつ、さらに歌いながら淡々とやっているが、これは実際難しいし、やはり彼は相当なテクニシャンであることがわかる。そして言うまでもなくブラインド=盲目なのだから本当に凄い。
とまあいろんな意味合いでランキングも堂々の3位にした。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 4.0 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.5 |
2位:Let Your Light Shine On Me(1929年)
大好きな曲である。どこから解説していいものか悩んでしまうが、とにかくこの曲は一聴した瞬間から好きになった。曲が秀逸なだけに、おそらく大勢のクワイヤでやっても大合唱で盛り上がるだろう。
トラディショナルなゴスペルブルースの有名な曲で、まずタイトルはもちろんゴスペルっぽいが、歌詞の内容もどストレート。”神よ、光を輝らしてください云々〜”である。ジョンソンより先にオールドタイムのアーネスト・フィップスが録っていて、サザン・ゴスペルとして有名な曲でもある。
そしてこのジョンソンのバージョンだが、曲の構成として3段階になっていて、その変わり方が本当にカッコよく、もはや後のロックやポップスなどのアレンジにもかなり影響を与えているんではないかと思う。
イントロは静かにサビの弾き語りから入るが、次の展開でアップテンポになって急に疾走感が出てくる。今ではよくある展開だ。しかもキャッチーである。
さらに、次に今度はダミ声にして、パーカッシブな音が入ってきてもっとノリが良くなるのだ。
「こんなの完全にどっかのロックバンドの曲やん!!」って突っ込みたくなるような展開だが、1929年にこの感じを1人でやっていたことを考えると、新しすぎて鳥肌モンである。
とにかく好みで言えば僕にとっては彼の中で一番好きな曲である。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 4.5 |
総合 | 4.0 |
1位:Dark Was the Night, Cold Was the Ground(1927年)
1位はやっぱりこの曲である。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンと言えばこの曲だし、ルーツ・ミュージックを飛び越えて地球というグローバルな意味合いでも、ゴスペルブルースの原点という意味でも超重要な曲であって、もはや好き嫌いを超越した人類の遺産とも呼べるものとなった。
この曲に歌と呼べるものは入っていない。ひたすらにジョンソンのスライド・ギターとうめき声のようなハミングがあるだけだ。しかしその存在感と人類のプリミティブに近い音感は圧倒的である。
この曲が有名になったのは、かのライ・クーダーがパルム・ドールを受賞した映画『パリ・テキサス』のサントラでカバーしたからであるが、そのハマり具合はたまらないくらいのハマりっぷりである。動画でも紹介しておこう。
このPVを初めて観た時は感動した。ジョンソンの原曲だけを聴いていると、とても宗教的でプリミティブなゴスペルブルースなのだが、ライ・クーダーが料理するとこんなにも(映像効果ももちろんあるが)古き良きアメリカっぽい音になってしまうのには脱帽である。
ちなみにこの曲の有名な逸話であるが、あの1977年に宇宙に打ち上げられた惑星探査機であるボイジャーに、異星人に向けたメッセージで、地球上の代表的な音楽27曲のうちの一曲として入っている。
つまり、これからの未来のいつの日か、ブラインド・ウィリー・ジョンソンのこの「Dark Was the Night, Cold Was the Ground」がどこかの宇宙人によって聴かれるかもしれないという、なんともファンタジーで歴史的な要素を持っていて、とてつもなく魅力的なストーリーを持っているのである。
重要度 | 5.0 |
知名度 | 4.5 |
ルーツ度 | 4.5 |
好み | 3.5 |
総合 | 4.5 |
それにしてもブラインド・ウィリー・ジョンソン不思議な男である。異端児と言えばそうなのかもしれないが、残した音源があまりにも素晴らしいからだ。
歌声を使い分けているが、そのダミ声はどちらかというとゴスペルというよりもブルース的である。これは日本人としてのバイアスなのかもしれないが、ダミ声=渋い ⇒ ブルージーという図式を作ってしまう。
確かに他のゴスペル・ミュージシャンと比べると、その生い立ちから来る絶望感や、ブラインドで苦労したこと、悲惨な死に方に至るまで絵に書いたような不幸さすら感じてしまう。そんな人間がブルースから離れることが本当に出来たのかと考えると個人的には不自然に感じざるを得ない。
そんなバックボーンもあって、音の方はなんとも感情的に揺れるスライド・ギターが心を揺さぶられるかと思えばロックンロールに通じるようなノリのある曲を演ったり、ただのギター・エヴァンジェリストでは到底ない。
まあ結局何が言いたいかといえば、とにかくカッコいいのである。時代を超越して、今聴いてもこれだけ新鮮さがあって、残された写真も1枚しかなくミステリアスで、未だにこんなスライド・ギターが弾けるのはブラインド・ウィリー・ジョンソン1人しかいないという専門家もいる。
だからあなたが今まであまり聴いたことがないのであれば、この機会にぜひとも聴いて欲しいし、こんなに素晴らしいパフォーマンスを遺したルーツ・ミュージシャンを地球の宝として、未来に伝えていってほしいと願うばかりである。