カントリー・ミュージック(Country)

 

目次

移民と貧困の歴史が生み出したカントリー・ミュージック

 

最近アメリカ合衆国を発端とした黒人差別に関する事件から、世界的にその影響が広がっているのはご存知だろう。

一般的にカントリー・ミュージックと聞くと、白人のそこそこ裕福な層が道楽で好んで聴いている音楽のように思うかもしれない。

しかし、意外かもしれないが元々は黒人のブルースのように、白人の労働者階級の貧困性がなければ生まれていなかったという経緯があるのはご存知だろうか。

日常の肉体労働の後や合間に音楽で気を紛らわせていたという意味では、ブルースと同じような起源をたどっている。

また、このへんの話はとてもデリケートで、本来は相当に深くアメリカの歴史を掘り下げていかないとなかなか理解できないとは思うが、このサイトはルーツ・ミュージックの”音楽そのもの”について追求したいので、「レイシズム(人種主義)」などについては必要程度にしておこうと思う。

ただ、色々と調べてわかったこととして、「ジム・クロウ法(黒人取締法)」という政治的なものが19世紀〜20世紀のアメリカにおいて、白人と黒人を分け隔ててしまったという事実は押さえておかないとマズい。

なぜなら、どうしても僕たちは「アメリカ」とか「白人」「黒人」とか、「カントリー・ミュージック」などのキーワードを聞くと、ステレオタイプな解釈をしてしまいがちだからである。

あたりまえのことだが、白人も黒人も同じ人間であって、特に音楽については本来人種など関係ないと思っている。実際、元々南部の田舎の白人と黒人はお互いに音楽においては尊敬し、影響も受けていたのである。


しかし最近のカントリー・ミュージックの中には、もはや商業主義的な音楽と化しており、一部を除くとポップ・・ミュージックやロックなどとミックスされて、なんとも薄っぺらいような音楽になってしまっているものも確かにあるとは個人的に感じてしまうので、やっぱりオーセンティックでルーツとなる古いものが良い

 

カントリーの起源

カントリーはブルースと同様に、後に発生してくるR&R(ロックン・ロール)やロック、ポップ・ミュージックのルーツになっているので見過ごすことはできない極めて重要なジャンルである。

それからカントリーの起源ということになると、元はヨーロッパからの移民がもたらしたものなので、「フォーク」というジャンルともカブっていることを伝えておく。

これも政治的で思想系の話になるが、1940年代に保守系はカントリー、リベラルはフォークというように分かれていくことになるからである。

 

さて、アメリカという国は元々ヨーロッパ系の白人の植民地政策の上に成り立っている。

話は19世紀にまで遡るが、イングランドやスコットランド、アイルランドの新しい移民たちは新天地を求めたり、宗教的な迫害に遭ったりして北アメリカ大陸へやってきた。

しかし当時の北アメリカの東海岸にはすでにアメリカ合衆国の先住民が居たため、やむなく西側へ行くしかなかった。

そこで立ちはだかっていたのが南北に延びるアパラチア山脈である。年寄りや子どもたちも一緒にそのアパラチア山脈を越えて西へ行かなければならないのだが、途中で諦めてしまい、山中にそのまま住み着いてしまう移民たちがかなりいたという。

そんな山奥で生きるために必死で自活しながら、彼らは音楽によって紛らわせていた。その音楽とは、ヨーロッパからそのまま持ち込んできたリールケルトなどの民謡やバラッドといったフォークソングであった。

その多くはアパラチア山脈の南方であったが、アフリカ系アメリカ人(黒人)との交流もあって、ゴスペルやブルースの要素もミックスされていった。そしてバンジョーという黒人が持ち込んだ楽器が使われ出したというのも非常に面白い話である。

反対に黒人たちも、そのヨーロッパからの移民たちが持ち込んだフィドル(ヴァイオリン)を使ったりと、様々な交流があった。

また、カントリー系の曲に少し物悲しい7thの音が入るのも黒人たちのブルースの影響である。

そして、そんな閉鎖的な空間で生み出された音楽はアパラチアン・フォークソングと呼ばれていた。


そしてそのアパラチアン・フォークソングは19世紀末から20世紀の初め頃までいろんな音楽や楽器を吸収していって、ついにSongcatcher(ソングキャッチャー)と呼ばれる音楽探究家に見つけられ、「
アパラチアン・ミュージック」として、世間に売り出されるようになった。

しかし、そういったアパラチア山脈やオザーク高原(アメリカ中西部)といった山岳地帯にいる田舎者の白人たちは、ヒルビリーといって差別的な意味合いで呼ばれており、特に南部の労働階級者である白人たちが好んでやる音楽として、アパラチアン・ミュージックも「ヒルビリー」と呼ばれたのである。

現代では「プア・ホワイト」という方がわかりやすいかもしれないが、つまり低所得者の白人層に対して使われる差別的な言葉である。

他にも南部の貧困層を「レッドネック」といって、北部の「ヤンキー」に対抗して使われることもある。


その後ヒルビリーという呼び方を(差別的で)嫌うメディアや演出家、ミュージシャンが増え、ウエスタンスイングやカウボーイ・ミュージックなどのサブ・ジャンルも巻き込んで、「カントリー&ウエスタン」という風に呼び名を変えていった。

このようにカントリー系のジャンルは派生型やサブジャンルも多いので、現代ではザックリと「カントリー・ミュージック」と呼んでいる。

 

 

カントリー・ミュージックの初期音源

カントリー・ミュージックにおいては、1923年に吹き込まれたフィドリン・ジョン・カーソンが最初の商業録音だと言われている。

この曲がそうである。※録音場所はジョージア州のアトランタ。


⭕「The Little Old Log Cabin In The Lane(1923年)」

後にいろんなバージョンでカバーされることになるので、カントリーというジャンルにとってはとても重要な曲ではあるが、これだけ聴くと正直フィドルとヴォーカルだけなので、ヨーロッパ民謡としてのイメージが強くてなかなかピンとこないのが本音ではある。

とは言っても、初期の頃のアパラチアンなカントリーはフィドルがメインの楽器である。この頃はまだ閉鎖的で、ヨーロッパから持ち込んだまま山岳地帯でずっと使われていたからであろう。

フィドルとヴァイオリンの違いとは?

ちなみにフィドルとヴァイオリンの違いは何かというと、モノ(楽器自体)は同じで呼び方が違うだけらしい・・・?。ややこしいのだけど、簡単に言うと、クラシックで使うのがヴァイオリンで、それ以外の大衆音楽で使うのがフィドルという分け方が一番しっくりくる。

ただ、それでもイマイチ納得いかないので少し調べてみると、実はこれらの違いを表す面白い話が2つある。

・1つ目は、演奏の仕方で、ヴァイオリンは弾く時にヴィブラートをかけるがフィドルはかけない。

・2つ目はアプローチとして、ヴァイオリンは硬い表情で弾くが、フィドルは踊りながら酔っ払って弾いてもよい(笑)。

もちろん、これらはアパラチアのカントリーだけでなく、基のヨーロッパでも同じである。


このフィドリン・ジョン・カーソンを発掘したのは、天才プロデューサーと言われるラルフ・ピアであった。

ラルフ・ピアは、アメリカのルーツ・ミュージック、ひいてはアメリカン・ミュージック全体にとって、極めて重要な歴史的人物で、このカーソンだけじゃなく、有名なカーター・ファミリーとジミー・ロジャースのブリストル録音を成功させ、さらに史上初のブルースの録音化にも成功している

つまり、アメリカのルーツ・ミュージックを語る上での2大重要ジャンルである「ブルース」と「カントリー」における初めての音源記録に成功した絶対的なキーマンだということである。

ところで、明らかにこの曲はカントリー系の曲なので、”録音第一号”といきたいところなのだが、実は広義でこの曲は「オールドタイム・ミュージック」となっており、「カントリー・ミュージック」としての商業的な初期録音は、1927年のジミー・ロジャースとカーター・ファミリーのブリストルセッションの方が有名である。

 

 

サブ・ジャンルへの派生〜現在のカントリー

先程も書いたように、カントリー・ミュージックはいろんな他のジャンルを吸収しながら、常に新しい派生した音楽を作り出してきた。

オーセンティックなカントリーから始まって、ウエスタンスイングやカウボーイソング、ブルーグラス、ロカビリー、ベイカーズ・フィールド、ホンキートンク、ナッシュビル、アウトローカントリー、カウパンク、オルタナカントリー、プログレッシブ・カントリー、カントリー・ラップ、アメリカーナなどなど本当にきりがないくらいにサブジャンルやミクスチャーが多い。

このようにカントリー・ミュージックは他のジャンルや黒人の影響も受けてはいるが、元々は白人系の音楽をルーツとしているので、演者やファンもやっぱり圧倒的に白人が多いのは確かである。

ただ、カントリーには個人的に好きなものと嫌いなものが混在していて、非常にややこしいジャンルであるとも思っている。特に近年は少し混乱してしまうような派生型のものも多い。

カントリー・ミュージックが好きな理由としては、起源が労働者階級の日常を歌っており、主な舞台がアメリカのアパラチア山脈南部以西の田舎の素朴なところから始まってて、ある種のノスタルジーや癒やしを感じるようなものがあり、憧れの古き良き時代のアメリカを彷彿させるところだろう。

他のルーツ・ミュージックにも言えることだが、やっぱり日本ではなかなか発生しないような音楽であるところが魅力的ではある。

嫌いな理由としては、逆差別的な言い方になってしまうが、それはやはり「白人」=W.A.S.P(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)の音楽といった偏見があるからかもしれない。

確かに最近のアメリカ合衆国のビルボードチャートでもカントリー系の音楽が上位によく入っているし、ガース・ブルックスに代表されるような1990年頃から始まったポップ・カントリーに至ってはアメリカ国内の白人層によるアルバムやシングルの売上がとんでもない数になっている。

アメリカの白人層といっても、W.A.S.Pのようなエリート層から田舎の貧困層まで格差社会になっているのだが、最近のカントリーはどちらの層にも受けているようである。

 

日本においては、第二次世界大戦での降伏や、その後も世界的に続いている白人による他人種への人種差別などのイメージから、白人に対してのネガティブなイメージが引っ張っているためにカントリー・ミュージックを毛嫌いするような人がいるのもしょうがないのかもしれない。

僕自身も正直、そういった政治的な側面を捉えると、カントリー・ミュージックに対して「敵対音楽か?」といったバイアスにかかったこともあるが、でもよく考えると、南部の田舎の労働者階級にとっては、政治など全く関係のないことで、単純に音楽だけを見てみると、まあ白人としてのブルースのようなものなのである。

そう、ただ田舎モンの彼らの日常や、時にはやるせなさを歌っているだけなのだ。

日本でも昔から北海道や東北地方で演歌が盛んで、グッドでスーパーな演歌歌手がいっぱい出てきているが、人生や色恋、酒などについて歌っているが、まさしくそれと同じである。そういう意味合いでは共感すらできるのではないだろうか?

実際、自分でも楽器を持って、カントリーやフォークのセッションなんかをやると、非常に盛り上がるのがわかるし、ただ純粋に音楽を聴いたり演奏する上では、カントリー・ミュージックは最高に楽しいということを知っている。

 


繰り返しになるが、確かに最近のカントリーはなんか薄っぺらい感じがしてあまり好きではない。もちろん中には良いものもあるが、商業主義的な臭さがあからさまなものが多い。だから例えばポップスと割り切って聴けば良い曲も多いかもしれないが、昔のような土着的な泥臭さがなく、洗練されすぎているのが少し胡散臭く感じてしまうのは僕だけだろうか。


そういうわけで、このサイトでは基本的にはオーセンティックな1970年代くらいまでのカントリー・ミュージックを取り上げていこうと思う。
いうまでもなく、それらは僕にとっては大好物である。

 

 

 

カントリー・ミュージックの変遷とミュージシャンたち

ここからは、1920年代〜1970年代くらいまでに4つの世代があると言われているので、世代ごとに詳しく見ていきたいと思う。

ちなみに今は2020年代で第6世代に入っており、キャリー・アンダーウッドやテイラー・スイフトなども含まれた世代である。

 

第一世代(1920年〜)

オールドタイム/ヒルビリー

初期のカントリー・ミュージシャンや録音については、冒頭からも少し書いているが、ラルフ・ピアという天才発掘者兼プロデューサーの存在は無視できない。そしてここではこの頃のカントリーを「オールドタイム」や「ヒルビリー」と呼ぶことにする。


ラルフ・ピアは、アパラチア山脈を中心にいろんなミュージシャンを探して、録音しては報酬を出すフィールド・レコーディングという、現地レコーディングを行っていた。

その中で、一般的に有名なのは先述のフィドリン・ジョン・カーソンをジョージアのアトランタで見つけたということが、カントリー・ミュージックの記録としては最古だと言われている。

しかし、実はそのフィドリン・ジョン・カーソンよりもさらに前に録られたとされるのが、テキサスのフィドル奏者、エック・ロバートソンである。1922年、ニューヨークでヘンリー・ギリランドという同じくフィドル奏者とともに、ビクターのオーディションに通って、録音にこぎつけたということだ。

早速音源を聴いてみると、フィドルだけだからそう感じるのか、カントリーというより、もっと前のケルトやポルカのような感じである。

音を聴いたほうが早い。。。

 

【Eck Robertson & Henry C. Gilliland(エック・ロバートソン&ヘンリー・ギリランド)】

⭕「Arkansas Traveler(1922年)」

 

また、この時に小中学校のフォークダンスでよく踊る「オクラホマ・ミキサー」の時にかかる有名な「Turkey In The Straw」も録音している。

⭕「Turkey In The Straw(1922年)」


最初の録音こそこんな感じだが、1929年にはバンジョーが入ってかなりカントリーっぽい音になっている。

⭕「Great Big Taters(1929年)」

 

※以下《ミュージシャン名》はクリックすると個別ページあります。

 

 

この頃の重要で歴史的なこととして、1925年にテネシー州ナッシュビルのAMラジオ局であるWSMで「グランド・オウリ・オプリ」というカントリー・ミュージック専門の番組が始まったことが挙げられるが、なんとその番組は未だに続いているアメリカでのモンスター最長寿番組なのである。

この事実だけでも、いかにアメリカという国でカントリーの人気があるのかがわかるだろう。
そして、そのナッシュビルが ”カントリー・ミュージックの聖地” と言われているのも、「グランド・オウリ・オプリ」の影響は決して外せないのである。また、アンクル・デイブ・メイコンは番組で最初のスターになった。

 

その他のミュージシャン

初期のオールドタイム〜ヒルビリーの特徴として、フィドルとバンジョーは欠かせない楽器のようだ。特にフィドラーはかなりたくさんいたようだし、皆複数の楽器が出来たというのも、常にいろんな楽器や音楽が身近な存在だったということを物語っている。この頃のフィドルを中心としたカントリー・バンドを”ストリング・バンド”と呼ぶこともある。

・【Fiddlin’ John Carson(フィドリン・ジョン・カーソン)
・【Uncle Eck Dunford(アンクル・エック・ダンフォード)
・【Samantha Bumgarner(サマンサ・バンガーナー)
・【Blind Alfred Reed(ブラインド・アルフレッド・リード)
・【Vernon Dalhart(ヴァーノン・ダルハート)
・【Al Hopkins(アル・ホプキンス)
・【Dallas String Band(ダラス・ストリング・バンド)
・【Tom Darby & Jimmie Tarlton(ダービー&タールトン)

 

 

・【Ernest V. Stoneman(アーネスト・ヴァン・ストーンマン)】ゴスペルの影響も?Good!
「I Am Resolved 」 牧歌的でいい曲

・【The McGee Brothers (マギー・ブラザーズ)】

・【Riley Puckett(ライリー・パケット)】スキレット・リッカーズのメンバー
・【The Skillet Lickers(ザ・スキレット・リッカーズ)】
「Pass Around The Bottle And We’ll All Take A Drink(1927年)」
「Down Yonder(1934年)」

・【Shelor Family(シェラー・ファミリー)】

・【Fiddlin’ Arthur Smith(フィドリン・アーサー・スミス)】

・【Sid Harkreader(シド・ハークリーダー)】

・【Deford Bailey(デフォード・ベイリー)】

・【Scottdale String Band(スコットデイル・ストリング・バンド)】

・【Monroe Brothers(モンロー・ブラザーズ)】
「Where Is My Sailor Boy?(1936年)」

 

 

第二世代(1930年〜)

・【Roy Acuff(ロイ・エイカフ)

・【Red Foley(レッド・フォーリー)】

・【Eddy Arnold(エディ・アーノルド】

・【マール・トラヴィス】

 

 

 

ウェスタン・スイング/シンギング・カウボーイ

【Bob Wills(ボブ・ウィルス)】+テキサス・プレイボーイズ
【Patsy Montana(パッツィ・モンタナ)】
・I Wanna Be A Cowboy’s Sweetheart(1935年)

 

※ここはもっと掘る必要あり

 

ヒルビリー・ブギー

 

【Johnny Barfield(ジョニー・バーフィールド)】後年はR&Bバラードっぽい曲多い←これもかなりgood!

 

・Boogie Woogie(1940年)

 

【Delmore Brothers(デルモア・ブラザーズ)】

・Freight Train Boogie(1946年)最初のR&Rと言われている

・Hillbilly Boogie(1946年)

 

【Arthur “Guitar Boogie” Smith(アーサー”ギター・ブギー”スミス)】

・Guitar Boogie(1948年)

 

 

ブルー・グラス

【The McGee Brothers (マギー・ブラザーズ)】
・【Kessinger Brothers(ケシンジャー・ブラザーズ)】
「Kanawha County Rag(1929年) 」
・【Bill Monroe(ビル・モンロー)】

 

 

 

 

 

 

⭕第三世代

 

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