Lead Belly(レッド・ベリー)

”フォークの源流” レッド・ベリー(Lead Belly)

レッド・ベリーはフォーク?

本名:ハディ・ウィリアム・レッドベター。とりわけ戦前のカントリー・ブルースにジャンル分けされがちなレッド・ベリーであるが、その音を聴けば、決してカントリー・ブルースの枠内に収まらないということがわかる。

確かにレッド・ベリーのイメージというと、12弦のフォークギターを奏でるスタイルなので一見すると、アフリカ系アメリカ人のブルースマンのようにも見えるが、最初に持った楽器はアコーディオンだし、その楽曲の基本は明らかに雑多なフォーク・ミュージックなのである。

そんなブルースカントリー系の融合をやってのけたレッド・ベリーは黒人と白人の人種の壁を越えて、世の中に訴えかけていたのかもしれない。

 

ウディ・ガスリーとレッド・ベリー

(出典:BADASS OF THE WEEKより)

 

生けるジュークボックス

1888年にルイジアナ州のムアリングスポートにあるプランテーションで生まれた。子供の頃から素行が悪く、しょっちゅう喧嘩をしていたようだ。ただし、音楽の才能に関しては飛び抜けていたということである。

また、世の中を洞察する力にも秀でていたレッド・ベリーは、日常の生活の中にあるあらゆることを題材にした歌が多かった。

酒、女、労働、差別、カウボーイ、ゴスペル、刑務所のことなどいろんなことを歌っていた。さらに時のルーズベルト大統領やアドルフ・ヒトラー、公民権運動などの社会的・政治的なことについても歌ったことで、アメリカ共産党の支持も受けたのである。
※(このあたりはまさにフォーク・ミュージックの源流でもある。)

楽器について、冒頭でアコーディオンから音楽を始めたと書いたが、他にもピアノ、コンサーティーナ、ハーモニカ、マンドリンなども使うことができ、時には足や手を踏み鳴らすだけの曲などもあった。

1917年にはテキサスでブラインド・レモン・ジェファーソンに会い、カントリー・ブルースのスタイルも教えてもらう。

このようにいろんなスタイルで、あらゆることについて音楽を通してアウトプットしていたその姿を”生けるジュークボックス”とも呼ばれ、独自の音楽を追究することになるのである。

 

監獄ミュージシャン

音楽において天才的であったレッド・ベリーではあったが、数々の犯罪を犯し、刑務所へ出たり入ったりを繰り返している。婦女暴行、射殺、殺人未遂など重刑により投獄された。

しかし当時のアメリカの法律がどうなっていたのかわからないが、レッドベリーはその自らの音楽によって、2度も刑期を免れて釈放されている。

1度目は1918年、親戚を射殺してしまった時のこと。35年の禁固刑を言い渡され、テキサスのシュガーランドの刑務所へ投獄されたが、なんと2年で釈放されてしまったのである。理由は、当時のテキサス州の知事がレッド・ベリーの音楽に感動したため・・・。って思わず「なんじゃそりゃ〜!!」とツッコみたくなるところだが、そんなメチャクチャな道理がまかり通っていたらしい。

人を殺しておいて、たまたま知事が気に入ったからって、35年が2年とは本当に何でもアリである。

2度目は1930年で、今度は殺人未遂でルイジアナの刑務所へ。しかし本当にワル(悪)かったんだな・・・。
今度は10年の刑だったが、入獄して3年後、南部へ議会図書館用のフォークソングの収集に来ていたジョン A&アラン ローマックスの親子の目に留まった。ローマックス親子はレッド・ベリーの類まれな才能に惹かれ、なんと刑務所で数百曲の録音をしたのである。

翌年、親子はルイジアナ州知事に懇願し、レッド・ベリーの刑を解いて釈放してもらったのであったーーーまたまた信じられないが、晴れてレッド・ベリーは自由な身となった。

そうとは言え、さすがに反省したレッド・ベリーはその後ローマックス親子に感謝して、自らも音楽活動をしながらフォークソング収集のアシスタントをした。

1934年にはローマックス親子と共にニューヨークへ移住し、しばらくARCレコードなどに録音をしたり音楽活動を続けて、名声を得ていった。

1940年、ニューヨークを中心にブームとなっていたフォークシーンに入っていき、そこでウディ・ガスリーやピート・シーガーに出会う。彼らはたちまちレッド・ベリーに衝撃を受け、師弟関係を築いていく。

1949年に初の欧州ツアーを行なったが、途中で病気にかかってしまいツアーは中止。そしてその病気が原因でついにこの世を去ってしまうのであった。

 

映画:「Lead Belly」

なんとレッド・ベリーの生涯を題材にした映画が存在する!
1976年にアメリカでしか公開されていない作品であるため、全編英語で字幕はないが、ネット上にいくらか動画がアップされているのでぜひ観てもらいたい。

細かなところでは実際の話と違う部分もあるようだが、観る分にはとても面白そうだ。それから英語がわからなくてもほとんど音楽が絡んでいるので意味はわかると思う。まさに”音楽は国境を越える”だ。

これはレッド・ベリーとブラインド・レモン・ジェファーソンが出会い、二人でドライブするシーンも描かれている。日本ではまず観られない貴重な映画である。

⭕Leadbelly and Blind Lemon driving

 

ザ・スミソニアン・フォークウェイズ・コレクション

2015年、レッド・ベリー並びにフォークファンにとって、これ以上ないくらいのコレクター・アイテムが発売された。

アメリカの博物館組織である「スミソニアン協会」にある非営利レーベルの”フォークウェイズ・レコード”から発売されたもので、CD5枚組のボックスセットで未発表曲16曲+豪華本(140ページ!)というマニアが垂涎ものの一品である。評論家からの評価もとても高く、かなりの称賛を得ている。

詳しくはこちらから → ザ・スミソニアン・フォークウェイズ・コレクション

 

 

曲紹介

レッド・ベリーは20世紀の早くからソング・スターとして音楽活動をしていたので、そのキャリアは長く、作曲もかなりやっていたが、実はなかなか録音するという運には恵まれなかった。

最初のレコーディングがローマックス親子がルイジアナのアンゴラ刑務所に来た時に録ったものなので、1933年ということになる。

しかしこの録音を皮切りに、500を超えると言われているエゲツない数の曲を生涯に渡ってレコーディングしている。その中から代表曲を選ばなければならず結構大変である。ハッキリ言って全部聴くことは無理だろう(苦笑)。

というわけで、とりあえず有名どころと個人的に好きな曲のランキングを上げておこうと思うのでご容赦を。

 

代表曲ランキング

12位:When I Was a Cowboy(1935年)

レッド・ベリーが器用にもいろんな音楽をやっていたことは先ほどお伝えした。この曲もそんな代表例で、”カウボーイ・ソング”である。元々は「The Western Cowboy」という曲名だった。

レッド・ベリーがカウボーイ?違和感があるかもしれない。確かにカウボーイは日本人の僕たちにとっては白人のイメージがあるからだろう。しかしそれはあくまでハリウッド映画などに出てくる西部劇などの白人メディアの印象が強すぎるからであって、実際はアフリカ系アメリカ人も多かったようである。そんな身近にあったカウボーイのことを歌っていても不思議はない。

この曲は後にマリア・マルダーがカバーしている。ズンチャ、ズンチャという一定のリズムにレッド・ベリーの少しワーク・ソングを思わせるような歌が乗る変わった曲ではある。

重要度 3.5
知名度 3.0
ルーツ度 3.0
好み 3.0
総合 3.0

 

 

11位:Good Mornin’ Blues(1940年)

もちろんこのような典型的なブルースもやっているワケだが、レッド・ベリーの歌い方は結構パワフルでゴスペルの影響もあったのだろう。また、12弦ギターが音に幅を持たせていて一人で演奏している割には音圧が大きく、レッド・ベリーを力強く見せている。しかしどちらかというとカントリー・ブルースではなく、ブルースの教則本にでも出てきそうな教科書的なブルースだ。

重要度 3.0
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.0

 

 

10位:C.C.Rider(1935年)

有名なブルース、ジャズのスタンダード・ナンバー。たくさんのミュージシャンが録音もしており、マ・レイニーが1924年に早くもパラマウントでレコーディングしている。

See See Riderというスペルもあるが、元々はスラングで尻軽女の意味合いの”Easy Rider”から来ているようだ。性的な意味合いが強い。

音の方は完全にデルタ・ブルースである。ギター1本のボトルネック奏法で始まり、おそらく足でリズムを取っているのだろうか、カントリー・ブルース調の演奏が最後まで続く。レッド・ベリーはフォークという括りの中へ入れているが、このようなブルースももちろん演奏できたのである。

重要度 3.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.0
好み 3.5
総合 3.0

 

 

9位:House of the Rising Sun(1948年)

この曲はレッド・ベリーというよりアニマルズでめちゃくちゃ有名になったトラディショナルソング。他にも色んなミュージシャンがカヴァーしていて、日本では「朝日のあたる家」という邦題で、ちあきなおみや美川憲一などもやっている。

レッド・ベリーやウディ・ガスリーのアレンジと違ってアニマルズのバーションは印象的なメロディと暗い曲調が特徴だ。僕も元々はアニマルズバージョンの方しか知らなかったが、レッド・ベリーがやっているのを知ってここに上げることにした。

ニューオリンズの娼婦のことについての歌という解釈と、刑務所の歌という解釈のどちらかが未だにハッキリせず、論争を巻き起こしているようだが、どちらにしても19世紀のニューオリンズの不遇な女性の歌ということは確からしい。

重要度 3.0
知名度 4.0
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

8位:Bourgeoise Blues(1948年)

ローマックス親子と共にワシントンD.Cへ移った時に遭遇した黒人差別に対して、レッド・ベリーが心からの”抗議の音楽=フォークソング”として作った曲。自らも体験した、至極普通に行われている人種差別という社会問題に対して真っ向から抗議して歌ったプロテスト・ソング。これもフォークの源流と呼ぶべきだろう。

そんなレッド・ベリーに対してアメリカ共産党からも高い支持を得ることになる。左翼右翼などの政治的な話をすると長くなってしまうが、少なくとも現体制へのアンチテーゼを主張するスタイルは、一般的には左派として受け取られる。だからロックなどの抗議音楽はどうしても左に分類されがちだ。

この曲もフォーク系、特にプロテスト・シンガーに多くカヴァーされている名曲となった。

重要度 4.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

7位:The Gallows Pole(1940年)

この曲も多くのミュージシャンがカバーしている。アレンジは全然違うがかのレッド・ツェッペリンがやってとても有名になった。日本語では「絞首台の棒」というタイトルだが、これはまさしく怒涛のロックのような曲である。

どこか沖縄民謡を思わせるようなフォークギターのイントロから始まり、レッド・ベリーのスピーキングが入る。少々気味が悪い感じすらする。しかしそこから変わるテンポの速い12弦ギターを掻き鳴らすその音は、蒸気機関車のようだ。そこにメチャクチャ勢いのあるレッド・ベリーのボーカルが乗ってくる。彼ならではの独特な一曲である。

重要度 3.5
知名度 4.0
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

6位:where did you sleep last night(1944)

レッド・ベリーの曲で最も有名なうちの一曲。というのも、1993年にあのニルヴァーナがMTVアンプラグドでカヴァーしたことで、世界中に有名になってしまったと言った方が正しい。

この曲は元々1870年ぐらいにアパラチアで出来たフォークソングで、「In The Pines」や「Black Girl」、「The Longest Train」というタイトルが付けられていたそうだ。つまりトラディショナルな曲に多いパターンで、歌メロが同じで歌詞が違うといったケースのよう。この曲もいろんなパターンでたくさんカヴァーされているが、その数は150を超えるらしい。

レッド・ベリーはニルヴァーナと同じく「where did you sleep last night」というタイトルで歌っている。

また、この歌詞は殺人の内容が含まれていて、とても重苦しくて暗いイメージの曲なのだが、ビル・モンローの「Black Girl」はブルーグラスで明るい。なんとも違和感のある曲だ。

重要度 4.0
知名度 4.5
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

5位:Alberta(1940年)

カッコいいカントリー・ブルースである。なんとも言えない不協和音的なイントロから始まって、スッとカントリー・ブルースに変わる。シャッフル3連のブギー・ビートな曲でこういった曲が普通に出来るのもレッド・ベリーならでは。

ちなみにこの曲はエリック・クラプトン絡みで訴訟に巻き込まれそうになったらしい。ことの発端は、クラプトンが有名な『MTVアンプラグド』で「Alberta」というブルースの曲名を演奏し、レッド・ベリー側へロイヤリティを支払った。しかし実はこれがレッド・ベリーの「Alberta」とは全然違う曲で、チャーリー・マッコイ&ジャクソン・ブルーボーイズの「Sweet Alberta」という曲をカバーしたから話がややこしくなったということである。

さらにその「Sweet Alberta」という曲の原曲があって、それがボー・カーターの「CorrineCorrina」という曲なのだ。すでにかなり話がややこしくなってきているが、つまり、『MTVアンプラグド』が世界的にもかなり売れたこともあって、クラプトン側がボー・カーターへロイヤリティを支払うということになったそう。

なんか、さすがに訴訟大国アメリカだけあってドロドロした感じが嫌な気分ではある。

重要度 3.5
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

4位:Midnight Special(1940年)

これはレッド・ベリーの中でも上位の代表曲である。同名の曲がトラディショナルとクレジットされているが、レッド・ベリー作という説もあるので実際のところはよくわからない。
この1940年のバージョンはゴスペル・グループの「ゴールデン・ゲート・カルテット」と一緒にレコーディングした。曲もモロにゴスペルになっていて、コーラスが素晴らしい。

この曲のエピソードは有名で、刑務所の独房でままならない日々を送っている囚人たちにとって、真夜中にそばを走る列車のライトが一筋の光を投げてくれているという神に救いを求めるゴスペルのような精神性をもたらしているということだ。

ちなみに僕がこの曲を最初に知ったのはCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)バージョンだ。ずっとオリジナルと思っていたので後からレッドベリーの方を聴いて結構原曲のままだなと感銘を受けたのを覚えている。

重要度 3.5
知名度 4.0
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

3位:Cotton Fields(1947年)

これも超名曲。ビーチ・ボーイズやCCRがカヴァーしたことで有名になった曲だけど、僕は「Midnight Special」と同様に最初に聴いたのはCCRバージョン。若い頃バンドでやったこともある。

他にもカヴァーしているミュージシャンが多い曲だが、特筆すべきは皆フォークやカントリーのロック系のバンドだということだ。CCRから入ったので、まさか原曲がレッドベリーだとは想像すらしていなかった。

そういうワケで、やっぱりレッド・ベリーはカントリー・ブルースだけの人じゃないということを再認識した。でも正直に言うと、色んなバージョンを聴いたがCCRバージョンが一番好きである。

それにしても「Cotton Fields」というタイトル・・・コッテコテのアメリカ南部やがな。好きやけど。

重要度 4.5
知名度 4.5
ルーツ度 4.0
好み 3.0
総合 4.0

 

 

2位:Goodnight Irene(1944年)

この頃にレコーディングしている曲はレッド・ベリーにとって特に代表的な曲が多いが、この曲がおそらく一番有名だろう。レッド・ベリーは1949年に他界したが、翌年の1950年にピート・シーガーのいたウィーバーズがこの曲をカヴァーして『ビルボード』で全米No.1になった。残念ながら、レッド・ベリー本人はそのことを知る前に死んでしまったのだが。

原曲はアメリカのフォークソングらしいが、歌詞も含めて基本的な形はレッド・ベリーが作り上げた。もちろんウィーバーズのアレンジも良かったので爆発的な人気が出たのも事実だ。その後あまりにもたくさんのミュージシャンがカヴァーをしていて、現在では完全にフォークのスタンダードとなって、世界中で有名な曲となった。この曲で完全にレッド・ベリーはフォーク界の重鎮となり得たのである。

重要度 4.0
知名度 4.5
ルーツ度 4.0
好み 3.0
総合 4.0

 

 

1位:Rock Island Line(1944年)

代表曲の中でも特に好きな曲。元々はアメリカのフォークソングということだが、レッド・ベリーは独自にアレンジしてとてもカッコよく仕上げている。

しかし最初の録音はレッド・ベリーではなく、ジョン・A・ローマックスがアーカンソー州の刑務所で、囚人のケリー・ペースという者が歌ったのを録っている。そしてこの時もうレッド・ベリーはアシスタントとして同行していた。レッド・ベリーがアレンジし直して録り直したのがこの動画のバージョンだ。

さらに1955年、イギリスのロニー・ドネガンがカヴァーして、アメリカのシングル・チャートでも8位にまで上がり、一気にスキッフル・ブームの人気に火が付いた。つまり超重要な曲である。

このレッド・ベリーのバージョンは、ブルース、ゴスペル、ブギー、ロックンロールの要素が詰まっていて、アフタービートのリズム感がさらにノリを出している。このへんのアレンジ力はさすがというしかない。

ロニー・ドネガンの方はこれにロカビリーっぽさが加わってこれまたカッコいい♪

重要度 4.5
知名度 4.0
ルーツ度 4.5
好み 4.5
総合 4.5

 

 


レッド・ベリーはなんとも不思議な立ち位置にいたミュージシャンだった。というより他より早すぎたのかもしれない。

とても喧嘩っ早くて、数々のトラブルも起こしていたが、それだけ感受性が強く、また頭がキレたのではないかと思う。

この頃のほとんどのアフリカ系アメリカ人がブルースやジャズにどっぷり浸かっていたのに、レッド・ベリーはプロテスト・ソングなんかを歌っていた。つまり、世の中の問題や理不尽さといったことにも早々から気づいていて、何かがおかしいことを訴えかけたかったのではないかということだ。独自のポジションから世の中のことを見て、音楽に乗せていたのではないかと。

とはいえ、ブルースを歌わせても天下一品だし、ゴスペルを歌うときのパワーも凄い。

そして、やっぱり特筆すべきはその楽曲が後のミュージシャンたちに与えた影響力だ。ウディ・ガスリーやピート・シーガーなどのフォークミュージシャンはもちろん、ロニー・ドネガンなどのスキッフルやとどめはニルヴァーナなどのロック・アーティストへの影響である。

幅広い音楽性を保ちながらも、その世の中へ訴えかけるようなスタイルや精神性は、後のフォークであり、ロックやパンクであったのだ。

 

その他の曲

・「Jim Crow Blues」

・「Black Betty」

・「Dancing With Tears in My Eyes」

・「Mr. Hitler」

・「Let it Shine on Me」

・「Every Time I Feel The Spirit」

・「Easy Rider」

・「Worried Blues」

・「Grey Goose」

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