”ジャズ史上最初に録音したバンド” オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jazz Band)
ディキシーとディキシーランド・ジャズについて
”ジャズは黒人の音楽である”。そんなイメージが一般的には強いかもしれない。
なぜなら、アフリカ系アメリカ人特有のシンコペーションやシャッフルビートであるスウィング感があればこそのジャズという認識があるからかもしれない。
そして、20世紀の始めにジャズが創られた時に、そのような黒人のジャズを発祥の地にちなんで『ニューオリンズ・ジャズ』と呼んでいた。
しかし、忘れてはならないのがニューオリンズはいろんな人種や国の人間が行き交う、ごった煮の街であったということだ。つまり、ニューオリンズに音楽を持ち込み、独特の文化を生み出していったのは、決して黒人だけではなかったということである。
そう、そんなゴチャ混ぜの街で生まれた音楽に、当然白人たちも関わっていたのである。
当時は人種差別がまだ色濃く残っていた時代で、白人の圧倒的に優位な社会であったという背景ももちろんあるが、こと音楽に関しても区別されていたようで、黒人の演奏するジャズに対して、白人のジャズというものが存在した。そんな白人のジャズは『ディキシーランド・ジャズ』と呼ばれていた。
そしてこのオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(以下ODJB)こそが、『ディキシーランド・ジャズ』の代表的なバンドで、メンバー全員が白人であったのだ。
ディキシーランドについて
ここで”ディキシーランド(ディキシーとも言う)”という名称について触れておきたい。
ディキシーランドとは、実は未だに定義が曖昧であるらしく、本来はアメリカ南部の諸州のことを言うらしい。ルイジアナ〜ノース・カロライナに渡る8州を基本として、その近辺の辺りまでを含むようだが、何かおかしくないか・・・??
なぜって、『ディキシーランド・ジャズ』はニューオリンズというとある街で起きたジャズなのに、どうして”ディキシーランド”なんていうたいそうな名前が付いているのか?
調べてみると、どうやら元々ディキシーというのはルイジアナ州にあったフランス系銀行の紙幣でDixと書かれていたものから派生してDixiesとなり、ルイジアナのことをDixielandと呼んだことが発端らしいのである。で、それから南部全体に広がり、ディキシーランドと呼ぶようになったとのこと。
また、「Dixie」という有名な曲があるが、これは南北戦争の時に、非公式ではあるが南軍の歌になっていたそうだ。
⭕「Dixie」
それから、2020年にミネソタ州のミネアポリスでアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドという男性が白人警官によって死に追いやられた事件を受けて、世界中で人種差別への抗議運動が勃発した。
そんな世の中の動きに合わせるような形ではあるが、テキサスの女性アメリカーナバンドの『Dixie Chicks』が → 『The Chicks』と改名するまでに及んだ。Dixieというワードが奴隷制の存続を肯定していると受け取られるからということである。
少しやりすぎな気もするが、この南軍旗についても米軍の施設での掲揚は禁止となった。
個人的には好きなフラッグなんだが、今やアメリカでは災の元となるくらいにデリケートな存在になってきている。
ジャズで最も早い商業的な録音
ODJBが重要なバンドである理由の一つに、世界で最も早く商業的に録音されたジャズのミュージシャンだからということがある。
バンドのオリジナルメンバーは全員ニューオリンズ出身で、元々は白人ジャズマンの祖と言われているパパ・ジャックレインと一緒にブラスバンドをやっていたそうである。
1915年、ドラムのジョニー・ステインがステインズ・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Stein’s Dixieland Jass Band)というバンドを立ち上げた。しかしジョニーが脱退してしまったため、残りのメンバーでコルネットのニック・ラロッカを中心にODJB(始めはOriginal Dixieland Jass Band)を結成してシカゴへ行き、それからニューヨークへ移った。
ニューヨークで彼らの評判はどんどん上がっていき、1917年にニューヨークで「Dixie Jass Band One Step」と「Livery Stable Blues」の2曲が最初にレコーディングされた。このことからも、当時いかに白人の方が黒人より優遇されていたかがわかる。
これによってジャズという音楽が全米中に広まり、レコードは100万枚を売上げ、”狂騒の20年代”と呼ばれる1920年代を迎えたのであった。
その後バンドはヨーロッパツアーなどを経て1925年に解散。
1936年、再結成し、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・ファイヴ(Original Dixieland Jazz Five)と改名して1938年まで活動する。
時を経て、1990年に入り、ニック・ラロッカの息子であるジミー・ラロッカがオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの名でバンドを引き継いでいる。
曲紹介
ODJBの場合、もちろんジャズ史上初の商業録音の2曲は入れないとダメだろう。それ以外はトラッドが多く、自分の好みも交えてランキングしてみたいと思う。
8位:Dixie Jass Band One Step(1917年)
1917年の録音にしてはあまりノイズもなくとてもキレイに録れている感じである。初期のディキシーランド・ジャズとはこういったものかもしれないが、とにかく音がいっぱいで騒がしい。ホーンセクションの3人が前に出すぎていてピアノの音がほとんど聞こえないが、まあこれも録音技術のことを考えるとしょうがないか。
初期メンバーは5人で、ニック・ラロッカ(コルネット)、ラリー・シールズ(クラリネット)、エディ・エドワーズ(トロンボーン)、ヘンリー・ラガス(ピアノ)、トニー・スバーバロ(ドラム)といったメンツである。
とにかくアフリカ系アメリカ人のジャズと比べると間が少なく、やっぱり音数が多くとっちらかっている感じで個人的にはあまり好きにはなれない。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 2.0 |
総合 | 3.0 |
7位:(Back Home Again In) Indiana(1917年)
この曲はティン・パン・アレーの作詞家バラード・マクドナルドとソングライターのジェームズ・ヘンリーの共作。ODJBが最初にコロンビアレコードでリリースした。本来は歌詞がある曲だが、ODJBはインストルメンタルである。曲のコード進行やキーが目まぐるしく変わるところもジャズっぽい。
よく売れたこともあって、後にジャズのスタンダードとなった。バップ系でもよく演奏される曲。カーレースのインディ500の式典では毎年歌われるのが伝統となっている。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 2.5 |
総合 | 3.0 |
6位:Darktown Strutters Ball(1917年)
これも代表的な曲である。作曲家シェルトン・ブルックスの曲で、2006年にはこのODJBのバージョンがグラミーの殿堂賞を受賞した。演奏自体はブレイクの多い曲だが、5つの楽器が賑やかにゴチャゴチャしているのが初期のODJBの特徴といえる。この曲もたくさんのミュージシャンがいろんなアレンジでカヴァーしていておもしろい。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 2.5 |
総合 | 3.0 |
5位:Jazz me Blues(1921年)
1921年のレコーディング。初期のODJBにしては新しめの音。いろいろとカヴァーされているが、ヴィックス・バイダーベックが最も有名だろう。
とにかく陽気にニューオリンズで「ジャズって!ジャズって!もっと私を楽しませて〜」みたいな少し卑猥なニュアンスも含めたような歌らしい。いかにも昔のアメリカって感じの曲だ。
重要度 | 2.5 |
知名度 | 2.5 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.0 |
4位:Margie(1920年)
1919年、オリジナルメンバーであるピアノのヘンリー・ラガスがスペイン風邪で他界してしまう。その後メンバーに加わったジョセフ・ラッセル・ロビンソンがこの曲を作った。(副題は「マイ・リトル・マージー」)
他の曲に比べるとミドルテンポで少ししっとりと聴かせるような落ち着いたラブソングだ。この曲も多くのミュージシャンがカヴァーしている。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.0 |
3位:Livery Stable Blues(1917年)
当初ニューオリンズのアルサイド・ヌニェスとレイ・ロペスと著作権で随分揉めたらしい最初の録音2曲目。こちらの方が有名かもしれない。個人的にもまとまってて好き。
ジャズをシカゴとニューヨークで広め、その後この曲をリリースして世に出したその功績は計り知れないものがあり、この後アフリカ系アメリカ人の大物ジャズメンたちもこぞってレコーディングした。
「Livery Stable」とは厩舎のことで、曲の半ば以降に馬や動物の鳴き声をホーンでマネて吹いているのがわかる。この頃のジャズにはそういったホーンによる動物の鳴きマネが結構ある。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 4.0 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.5 |
2位:Clarinet Marmalade(1918年)
この曲はメンバーのラリー・シールズ(クラリネット)とヘンリー・ラガス(ピアノ)が作ったとされていて、クレジットもそうなっている。この頃のODJBがレコーディングしている曲は、ほとんど後にスタンダードとなる曲ばかりで、この曲もたくさんのジャズマンがカヴァーしている。
全般に入っているドラムのバスドラはジャズのレコーディングでは初めてのものらしく、当時としては画期的だったようだ。また、ジャズ・クラリネット奏者にとってはクラシック・バイブルのような重要な曲でもある。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.5 |
1位:Tiger Rag(1917年)
ODJBの中で最も代表的といえばこの曲だろう。ジャズのスタンダード・ナンバーにもなった。しかしこの曲の作者についてもかなり物議を醸しており、ニューオリンズのたくさんのジャズ・ミュージシャンが主張していたようである。とはいえ彼らが最初に録音し、著作権も取ったというのが事実ではある。
多くのジャズマンが演奏し、特にミルズ・ブラザーズのカヴァーは歌入りで100万枚以上売れた。その後も150以上のミュージシャンにカヴァーされ、スポーツ関係でも頻繁に使われる超有名な曲になった。
この動画はヴォーカリオンでレコーディングした1917年の初期バージョンであるが、一般的には1918年のビクターバージョンの方が有名。
確かに曲の至るところに後のR&Rやポップのルーツを感じさせるところが多く、影響力はかなり大きい。
重要度 | 4.5 |
知名度 | 4.5 |
ルーツ度 | 4.0 |
好み | 2.5 |
総合 | 4.0 |
オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドは白人バンドであるため、どうしても他のアフリカ系アメリカ人の”ニューオリンズ・ジャズ”に比べると知名度などは劣ってしまうが、それでも『ディキシーランド・ジャズ』はやっぱり有名だし、僕の勝手なイメージで言うと、”バンジョーの入ったジャズ=ディキシーランド・ジャズ”というのがスッと入ってきやすい。
今回紹介したこれらの曲群も、さすがに録音された時期が早いため、1910年代のものも結構多い。だから全体的に決して音質は良いとは言えないが、それでもジャズの歴史的な音源であることに感動することができる。
ODJBの少し後にカーター・ファミリーなどの白人バンドも出てくるが、この頃アフリカ系アメリカ人は比較的ピンでやるミュージシャンが多かったのが対称的でおもしろい。
ODJBの演奏を聴くと、確かにいろんな楽器がぶつかってウルサく感じるが、そんなゴチャゴチャ感が特徴だったのかもしれない。
その他の曲
・「At The Jazz Band Ball」
・「March of Time」
・「Fidgety Feet」
・「Satanic Blues」