(出典:Discogs)
”ピードモント・ブルース”の土台を作った義足のブルースマン ペグ・レグ・ハウエル(Peg Leg Howell)
ペグ・レグ・ハウエルとは
録音されたブルースマンの中でも初期の方で、ピードモント・ブルースの土台を作った。
名前の”ペグ・レグ”の由来は、義理の兄弟に足を撃たれて義足にしたことから来ている。
⇒【ペグ・レグ・ハウエル&ヒズ・ギャング】というバンド名で、フィドルのエディー・アンソニーとギターのヘンリー・ウィリアムズ、マンドリンのユージーン・ペディンたちと一緒にアトランタを中心に活動した。
曲紹介
「New Prison Blues(1926年)」密造酒販売で1年間服役していた時に作った曲。ペグ・レグ・ハウエルの最初の録音曲であり、またコロンビア・レーベルでの最初のカントリー・ブルースのリリースでもある。
「Peg Leg Stomp(1927年)」これぞピードモント風の曲。ラグタイムやダンスナンバーの影響が伺える。フィドルが入ることでよりジャグ・バンドやカントリーっぽくなる。
「New Jelly Roll Blues(1927年)」こちらも陽気なダンスナンバー。とてもノリがよく個人的に好きな曲。
「Hobo Blues(1927年)」ホーボーについての歌。イントロのフィドルは音が外し気味なので酔って弾いているのか?と思った。何気にペグ・レグ・ハウエルのヴォーカルの声はいいし、途中からアップテンポに変わるところもカッコいい。
「Too Tight Blues(1927年)」これも陽気なピードモント・ブルースでノリがあってカッコいい。ずっと続けられる高音と低音のオクターブ違いのユニゾンコーラスもいいし、ライブとかでやれば盛り上がりそう。
「Broke and Hungry Blues(1929年)」代表的な曲。フィドルは無名のミュージシャン。曲自体はかなりブルースっぽい。
「Rolling Mill Blues(1929年)」なんともいえない雰囲気で始まるが、フォークのような感じの曲で同じスタンザが繰り返される。
「Away From Home(1929年)」マンドリンのジム・ヒルとのセッション曲。マンドリンが入ると一気にカントリーっぽくなる。ミドルテンポなバッキングが小気味良くて好きな曲である。
「Skin Game Blues(1963年)」これは結構ヤバい。1935年以降ひっそりと音楽の活動をしていたペグ・レグ・ハウエルが、貧乏な老人となって再発見された後のレコーディングだからだ。人生の辛さが滲み出ているような心して聴かないとダメな曲。
★【Super Band(スーパー・バンド)】
ニューオリンズでボランティアで集まるミュージシャンたちのビッグバンド。
彼らが街角でペグ・レグ・ハウエルの「Banjo Blues」を演奏している動画があるのでここで紹介しておきたい。
「Banjo Blues」
ペグ・レグ・ハウエルはジョージア州で生まれて、若い頃から音楽に入れこんでイーストコースト・ブルースの基盤を作った重要なミュージシャンだ。レイス・レコード全体で見ても最初に記録を残した一人である。
ただ、その生い立ちは決して幸せと呼べるものではなかったのかもしれない。1916年に義理の兄弟に足を撃たれて片足を切断。1925年には密造酒の販売がバレて実刑一年。さらに1952年には糖尿病でもう一方の片足も切断。終生車イスで過ごした。
しかし彼の音楽はブルースとラグタイムやフォーク、ダンス・ミュージックなどの白人音楽をミックスさせたようなスタイルで、フィドルやマンドリンを取り入れて幅広いジャンルをこなしており、その後の特にイーストコーストのミュージシャンたちには大きな影響を与えた。
1930年の半ば以降はほとんど音楽活動をしなくなってしまったが、1963年に民俗学者のジョージ・ミッチェルらにアトランタで再発見されて、再び録音した。この時すでに75歳。貧乏な生活を送っていたペグ・レグ・ハウエルは両足が義足で車イス姿だった。
上で紹介した「Skin Game Blues」を聴くと、まさに人生そのものが絵に書いたような”ブルース”だったと言うと大げさであろうか。