- 1 ”最強のデルタ・ブルースマン” サン・ハウス(Son House)
- 2 曲紹介
- 2.1 代表曲ランキング
- 2.1.1 16位:「This Little Light Of Mine(1970年)」
- 2.1.2 15位:「Downhearted Blues(1965年)」
- 2.1.3 14位:「Grinnin In Your Face(1965年)」
- 2.1.4 13位:「Dry Spell Blues : part1(1930年)」
- 2.1.5 12位:「My Black Mama : part1(1930年)」
- 2.1.6 11位:「John The Revelator(1965年)」
- 2.1.7 10位:「Preachin’ Blues : part1(1930年)」
- 2.1.8 (同)10位:「Preachin’ Blues(1967年)」
- 2.1.9 9位:「Pearline(1965年)」
- 2.1.10 8位:「Shetland Pony Blues(1941年)」
- 2.1.11 7位:「Motherless children(have a hard time)(1965年)」
- 2.1.12 6位:「Jinx Blues(1942年)」
- 2.1.13 5位:「Between Midnight And Day(1970年)」
- 2.1.14 4位:「Levee Camp Blues(1965年)」
- 2.1.15 3位:「Walking Blues(1930年)」
- 2.1.16 (同)3位:「Walking Blues(1941年)」
- 2.1.17 2位:「The Delta Blues(1941年)」
- 2.1.18 1位:「Death Letter Blues(1965年)」
- 2.2 その他の代表曲
- 2.1 代表曲ランキング
”最強のデルタ・ブルースマン” サン・ハウス(Son House)
「これぞデルタ・ブルースって誰?」って聞かれると、僕はサン・ハウスと答えるようにしている。
とはいえ、実はサン・ハウスはバプティスト教会の信者でゴスペル上がりなので、生死をゴチャまぜにしているブルースには宗教的に敵対していたハズなのだが・・・※(ブルースはゴスペルなどから〈悪魔の音楽〉と呼ばれていた)。
何はともあれ、幸いにもサン・ハウスは長生きをして晩年まで活躍してくれたので、かなりの資料や映像が残っている。
だからそういった意味でも、本当に素晴らしいパフォーマンスがたくさん見られるし、その豪快さやカッコ良さ、渋さなど、どこを切り取ってもサン・ハウスこそがまさしく”ザ・デルタ・ブルースマン”だと思えてしまうのである。
サン・ハウスの生い立ち
サン・ハウスは熱心なバプティスト信者の家庭で生まれ育った。若い頃はその説教者や牧師として働いていたようである。
しかし家族の反対を押し切り、19歳の時に結婚する。なんとその後5回も再婚するらしい。
少しややこしい話だが、25〜26歳の頃、実はサン・ハウスは人を殺している。まあ、記録によると正当防衛らしいのだが、元々牧師さんなのに殺人って・・・まあ、この頃は治安もメチャクチャだったのかもしれない。
そして人を殺したことに変わりはなく、ミシシッピデルタ最大のパーチマン・ファーム刑務所に服役していた。刑期は15年だったが、正当防衛による酌量で2年位で釈放されている。
パーチマン・ファーム刑務所の入り口
(出典:wikipedia)
そして、25歳でルービン・レイシーの影響でブルースに目覚めた。特にボトルネック(スライド)ギターに打ちのめされたようで、宗教をも含めた人生観が変わったようである。
このへん、正直言って現代の日本人である僕らにはほぼ理解し難い話だが、宗教とブルース音楽というものが両方ともに生活に密着していたからこそ出てくる話なのだろう。
1930年、ミシシッピ州のルラでチャーリー・パットンやウィリー・ブラウンに遭い、共に名セッションをすることになる。
噂を聞きつけたパラマウント・レーベルがルラで3人にレコーディングの話を持ちかけた。そして、その後ウィスコンシン州のグラフトンでかの有名な『伝説のデルタ・ブルースセッション』を録音するのである。
この頃のサンハウスはロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズに多大な影響を与えたので、ブルース史上におけるキーマンであるのは間違いない。
1941年〜1942年、民族音楽学者アラン・ロマックスの誘いを受けて、ウィリー・ブラウン、フィドリン・ジョー・マーティン、リロイ・ウィリアムズらと19曲録音している。しかしよく考えたらこの頃って、第2次世界大戦中のハズではないのか??
1943年、その後世間から姿を消したサン・ハウスは、ニューヨークの中央鉄道で働くようになり、音楽業界から引退した。
それから約20年後の1964年、ディック・ウォーターマンなどのブルース研究家たちによって、ニューヨークで再発見される。しかし、昔の自分の曲をもう忘れてしまっている始末・・・。なんとかキャンド・ヒートのアラン・ウィルソンのおかげもあって思い出すことができたそうだけども。なんじゃそりゃ!?
その頃、ブルース・ブームが再燃していたタイミングだったこともあり、サン・ハウスは新曲もたくさん作って、ニューポートフォークフェスティバルや他のフェスティバル、さらには欧州ツアーなどにも出るようになった。
そして年輪を重ねた円熟味が増したサン・ハウスは、以前の若い頃とはまた違った、時には鬼気迫るようなブルースを奏でるようになったのである。
そんな感じで1976年頃までプレイし続け、86歳まで生きた伝説となった。
サン・ハウスの演奏スタイル
ほぼ独学でギターを身に付けたこともあって、おそらく今で言う教則本なんかでは全く通用しないスタイルである。スライドプレイは迫力があり、単音スライドも多く、リゾネーターギターで右手を打ちつけて掻き鳴らす が、 ギターを壊さないように金属製のボディを使用。
全体的にリフがカッコいい。曲の終わり方に特徴があって、大体ギターを最後にチョロっと1フレーズ弾いて終わるパターンである。
それからアカペラが数曲あるが、ギターなしでもこれだけの存在感はスゴい。つまり、サン・ハウスってそのスライド・ギターはもちろんだけど、ヴォーカルも相当インパクトがあるということだろう。
あと、オシャレ。どうしても演奏に目が行きがちだが、服や髪型、靴など写真や映像を見てもらうと、ビシッとしたスーツ系からカジュアルなカッコも他のブルースマンとは違うのがわかる。
曲紹介
デルタ・ブルースマンとして最も有名な一人であるサン・ハウス。だからやっぱり曲数も多く、しかもいい曲やカッコいいものが多いのでなかなか選曲では苦労した。もちろん個人的な好みで優先順位を付けたいところだが、ブルースの、いや音楽の歴史上においても外せない曲もあるので、そのへんは総合的なランク付けとなった。
また、残っている映像が多いことや音質といったところで再発見後の方が多くなっている。
代表曲ランキング
16位〜1位までご紹介。
16位:「This Little Light Of Mine(1970年)」
まずはいきなりだがアカペラである。実際はギターの伴奏入りのバージョンもあるが、この客席との一体感がカッコいいのでチョイスした。
ハンドクラッピングだけでもこれだけ盛り上がれるのは、やはりサン・ハウスの力であり、ブルースの魅力だ。
重要度 | 2.5 |
知名度 | 2.0 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 2.5 |
総合 | 2.5 |
15位:「Downhearted Blues(1965年)」
多くのブルースマンやジャズマンがカバーしているアルバータ・ハンターの曲。少し長めの曲だが、落ち込んでいる時に聴きたいブルースなので、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
重要度 | 2.5 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 2.5 |
好み | 2.0 |
総合 | 2.5 |
14位:「Grinnin In Your Face(1965年)」
こちらもサン・ハウスがアカペラで歌っている曲。ヴォーカルとクラップ(手拍子)だけだが逆にそれが以前のゴスペルや、ワークソングを感じさせる。サン・ハウスには数曲こういったアカペラがある。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 2.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 2.5 |
総合 | 3.0 |
13位:「Dry Spell Blues : part1(1930年)」
チャーリー・パットンやウィリー・ブラウンと共に録音された伝説のセッションに収められたサン・ハウス3部作の内の1曲。「なんだ?このリフは!?」というのが初めて聴いた時の印象。
ループのように同じフレーズなのだが、小刻みに入るスライドに”変態か?”と思わず唸ってしまった(笑)。ギターをやっていればわかるが、このリフを考えつくのも凄いが、歌いながら弾いているのもまた変態的である。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.0 |
12位:「My Black Mama : part1(1930年)」
同じく3部作の1つである。原曲はジェームズ・マッコイというブルースマンから教えられたようである。
どうしたらこんな変なリズムを思いつくのかわからないが変拍子が多い。また、この曲は後の「Death Letter Blues」の元曲だ。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.0 |
11位:「John The Revelator(1965年)」
この曲もアカペラ。サン・ハウスの代表的な曲の一つ。ライブ映像の動画なので貴重である。なんともディープな歌ではあるが、やっぱりなんかオシャレである。この頃のサン・ハウスは結構スーツを着たり蝶ネクタイをしているが、曲が苦労を臭わせるため、なんともいえない違和感を感じてしまうのは僕が日本人だからだろうか。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 2.5 |
総合 | 3.0 |
10位:「Preachin’ Blues : part1(1930年)」
伝説の3部作の最後の曲。この曲もジェームズ・マッコイ直伝である。3曲ともにパラマウントでのレコーディングで、1930年頃の初期のサン・ハウスを語るには外せない。ちなみに次の動画は同じPreachin’ Bluesの1967年バージョンである。再発見後の録音だが、まるで違う曲のようだ。テンポがかなり遅くなってるが、20年ほどのブランクがあったので昔のようにはできなかったのかもしれない。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 2.5 |
総合 | 3.0 |
(同)10位:「Preachin’ Blues(1967年)」
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 2.5 |
総合 | 3.0 |
9位:「Pearline(1965年)」
これでもかというぐらいにリゾネーターギターでスライドしまくっている曲。リフというかフレーズというか、もう口ずさんでるような弾き方でぐいぐい弦の上を滑らせている。Pearline というのは女性のことだろう。キレイな姉チャンに「もうたまらないぜ!」っていうような曲。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 2.5 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 4.0 |
総合 | 3.0 |
8位:「Shetland Pony Blues(1941年)」
議会図書館のためのアラン・ロマックスによる貴重な録音。この曲はフィールド・レコーディングされているので、いろんな雑音なんかも入っている。1:15あたりには汽車の音も入っているが、なんともマッチングしていて素晴らしい。個人的にギターの音がとても気に入っている。原曲はチャーリー・パットンの「Pony Blues」である。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.0 |
好み | 4.0 |
総合 | 3.5 |
7位:「Motherless children(have a hard time)(1965年)」
こちらはSpotifyから音のみ。タイトルからしてブルージーであるが、曲もヤバめで、ひたすらスライド・ギターに乗せて歌うというより、呻いているような感じで終わる。まさにディープなブルースである。逆差別になってしまうかもしれないが、こんな曲はアフリカ系アメリカ人にしか作れないだろう。凄さをしみじみ感じてしまう。
重要度 | 3.0 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 4.5 |
好み | 3.0 |
総合 | 3.5 |
6位:「Jinx Blues(1942年)」
これが録音されたのは1942年なのだが、イントロでサン・ハウスがMmmm〜とハミングしている後ろの展開部分が、ベースが入ったロックっぽく聴こえる。1960年代以降のブルースロックみたいで、実はこの曲凄いのかもしれない。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.5 |
5位:「Between Midnight And Day(1970年)」
サン・ハウスのアラン・ウィルソンへの恩返しというべきか、2人によるセッション。まるで師弟関係みたいな感じだが、まあこの曲は復活したサン・ハウスにとっては上位に取り上げておくべきだと思う。
重要度 | 3.5 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 3.5 |
総合 | 3.5 |
4位:「Levee Camp Blues(1965年)」
再発見後のサン・ハウス。これはライブ映像なので、動くサン・ハウスが映っている貴重な映像。とにかく観ればその凄さはわかるのだが、ギターの弦を弾くというより引っ張ったり、ボディを叩いているようにも見える。「手は痛くないのだろうか?それから弦は切れないのか?・・・」疑問である。
それにしてもこのボトルネックは本当にカッコいい。この動画がポイント高く、曲も4位にランクイン。
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.0 |
ルーツ度 | 3.5 |
好み | 4.0 |
総合 | 3.5 |
3位:「Walking Blues(1930年)」
(同)3位:「Walking Blues(1941年)」
この曲(Walking Blues)は、ブルースのスタンダード・ナンバーとしてよく取り上げられるが、実はいろんなパターンがあって、演っているブルースマンもロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズなどたくさんいる。現にサン・ハウスでさえも1930年と1941年では内容が異なる。スタンダードではあるが、とても自由に変えられる魅力的な曲ではある。
サン・ハウスの場合、1941年の方は、ウィリー・ブラウンらが入っているのでかなり賑やかなセッションみたいに盛り上がりを見せている。個人的にはこっちの方が好きである。あなたはどちら?
重要度 | 3.5 |
知名度 | 4.0 |
ルーツ度 | 4.0 |
好み | 4.0 |
総合 | 4.0 |
2位:「The Delta Blues(1941年)」
タイトルがまさに「ザ・デルタ・ブルース」。これでもかというぐらいにコッテコテのまさしくこれぞデルタ・ブルース!ミシシッピのプランテーションが目に浮かぶようだ。
特にリロイ・ウィリアムスのハープが素晴らしすぎる。とにかくビールを飲みながら聴きたい1曲。ク〜カッコいい!
重要度 | 4.0 |
知名度 | 3.5 |
ルーツ度 | 4.0 |
好み | 4.0 |
総合 | 4.0 |
1位:「Death Letter Blues(1965年)」
サン・ハウスと言えばこの曲である。再発見後の貴重な映像であるが、とても有名(ブルース界では)なので、観たことのある人も多いかもしれない。
僕が初めてサン・ハウスの映像を観たのがこれで、本当にブッ飛んだ。「カッコいい・・・」ただそれだけだった。あまりにも衝撃的だったので、すぐにSNSでもシェアしてしまったくらいである。ロックバンドのホワイト・ストライプスもカヴァーして話題になった。僕の中ではダントツのランキング1位である。
もう、解説のしようもないし、他のサイトやブログでもたくさんの人が書いているのでここではやめておく。
ただ、どうしても気になることがあって、映像の冒頭を観てもらうとわかるが、サン・ハウス以外に左の方にもう一人誰かいる。同じようにギターを持って座っているのだが、顔も見えないので誰だかわからない。終始誰かわからないまま映像も終わってしまう。音を聴くと、サイドギターが入っているので、おそらくそれをプレイしているのだろうが、いろいろ調べてみたが結局誰かわからなかった。
※(どなたかご存じの方がいれば教えてもらえませんか?気になってしょうがないです😣)
重要度 | 4.5 |
知名度 | 4.5 |
ルーツ度 | 4.0 |
好み | 4.5 |
総合 | 4.5 |
ざっとサン・ハウスの主な代表曲を上げてきたわけだが、総じて僕は好きなので点数も高めである。リゾネーター・ギターが気に入っているというのあるし、サン・ハウスってどこか知的な感じがして好きだ。
他にもたくさん良い曲があるので以下に紹介しておきたい。
その他の代表曲
・「Clarksdale Moan(1930年)」
・「Mississippi County Farm Blues(1930年)」
・「Government Fleet Blues(1941年)」
・「Four O’Clock Blues(1941年)」
・「Special Rider Blues(1942年)」
・「Low Down Dirty Dog Blues(1942年)」
・「Depot Blues(1942年)」
・「County Farm Blues(1942年)」
・「American Defense(1942年)」
・「Am I Right or Wrong?(1942年)」
・「A Down The Staff(1964年)」
・「Empire State Express(1965年)」
・「Levee Camp Moan(1965年)」
・「Yonder Comes My Mother(1965年)」
・「President Kennedy(1965年)」
・「Mister Suzie-Q(1969年)」