(出典:JazzBluesNews)
バレルハウス・ピアノ〜ブギウギの先駆者
スペックルド・レッドとは
◯1892年 ルイジアナ州モンロー生まれ(本名:ルーファス・ジョージ・ペリーマン)
◯独学でピアノを学び、年の離れた弟が”ピアノ・レッド”ことウィリー・ペリーマン
◯生まれつきのアルビノ
曲紹介
「The Dirty Dozen(1929年)」スペックルド・レッドにおいて最初の録音であるが、最も重要で代表的な曲。この曲こそまさにスペックルド・レッドである。初回の録音分が売れて有名になり、以降も何度かリリースしているが、売上的には失敗している。しかし、この曲からR&Rの片鱗が伺えるし、言葉遊びが特徴的で、ラップの先駆けとも言われるほどに後々への影響力は大きい。
「The Right String, But The Wrong Yo Yo(1930年)」これはちょっと歌のトーンが大きすぎるかも?バレルハウス・ピアノの典型的な曲で、少しラグタイムも入っている。弟のピアノ・レッドやカール・パーキンス、エルヴィン・ビショップなど多くのミュージシャンがカヴァーしている名曲だ。
「Do The georgia(1938年)」少し間が空いたが、ここから1938年以降のレコーディングとなっている。ここでは完全にブギウギの曲でピアノが跳ねている。個人的に好きな曲だ。マンドリン奏者のウィリー・ハッチャーが参加している。
「You Got To Fix It (1939年)」前の「Do The georgia」もそうだが、1938年12月にセッション録音されているものだ。メンバーはスペックルド・レッド(ピアノ)、ウィリー・ハッチャー(マンドリン)、サニー・ボーイ・ウィリアムソン(ブルースハープ)、ロバート・リー・マッコイ(ギター)というなかなかのメンツである。
この曲は、サニー・ボーイ・ウィリアムソンのハープがフィーチャーされてて、とてもカッコいい。
「Early In The Morning(1939年)」これも同じセッションからであるが、サニー・ボーイ・ウィリアムソンは入っていないようだ。叩くようなピアノと張り上げるように歌うスペックルド・レッドの声がいい。全体にブルースっぽい仕上がりになっていて、この粘っこいリズム感はアフリカ系アメリカ人だからこそ出せるのだろう。
スペックルド・レッドは本名はルーファス・ジョージ・ペリーマンと言い、ルイジアナで生まれた。
家族は間もなくジョージア州のハンプトンへ引っ越した。兄弟は16人いたようで、かなり歳が離れた弟に”ピアノ・レッド”と呼ばれているウィリー・ペリーマンがいる。どちらかというとウィリーの方が有名で、彼は別名”Dr.Feelfood”とも呼ばれていた。二人ともそのスタイルはブギウギピアノであったが、一緒に録音することはなかったらしい。
また、ペリーマン家は遺伝もあって、アルビノという遺伝子欠乏症体質であった。髪や肌のメラニン色素が薄いため、顔や体が赤く見えることから”スペックルド・レッド(赤)”と呼ばれるようになった。。。
一家は経済的な問題もあって、デトロイトの親戚のところへ転がり込んだ。その後ルーファスは独学でピアノを学び、ハウス・パーティーや売春宿など演奏して稼げるところならどこでもやっていた。ジョージアに戻ったり北部に出向いたりとしながら、タンパ・レッドやジム・ジャクソンなどと交流してそのスキルや名前を上げていった。
1929年にブランズウィック・レーベルからリリースした「The Dirty Dozen」が大ヒットしたが、それが最初で最後のヒット曲となってしまった。その後世界恐慌の波にのまれて、数年間は密かに活動していたが、1938年にブルーバードが仕切った名セッションとレコーディングが行われて存在感を示した。
スペックルド・レッドは、『ブギウギ』という、後の『R&R(ロックンロール)』に繋がる重要なジャンルの基になった”バレルハウス・ピアノ”という奏法を一躍広めたその功績は大きく、もっと評価されてもいいミュージシャンの一人である。